投稿者: SIGEN

「新しい生活様式」が始まり、ローカルバンドマンが選んだスタイルは、戦前ブルースマンと呼ばれる人達の様式美。およそ100年前に確立された音楽は、現在の状況さえも癒してくれるのではと研究中。

テネシー・ウィスキー

 小さい頃からスーパーでの買い物が苦手だった。すぐに飽きてしまうというか、家に帰りたくなってしまう性分だったからだ。だから母が料理好きの父と連れ立って買い物に行くとなった時などは、とにかく一緒に出かけないようにしていた。「いったいこの人たちは、どれだけ同じ棚を行ったり来たりしたら気がすむのだろう?」退屈を持て余していた子供の目には、とても不思議な光景に映っていたものだった。

 ところが最近になって、その苦手なスーパーに頻繁に出かけるようになっている。休日のランチ・メニューをこしらえるためだ。コトの始まりはYouTubeへ弾き語り動画をアップするようになり、少しでも音の響きが良い撮影場所を探してたことへと遡る。ついにはキッチンがベストだということに気がついてしまったのだが、そこには当然お酒も揃っていたし、さらにツマミも付けれたら最高といった具合で、男子厨房学を実践することとなったのである。

 さて、お酒もいい感じでまわってくれば、歌いたい歌もお酒にまつわるものにしたくなってくるものだ。それも”グチ”や”嘆き”の歌じゃないやつがいい。その点を踏まえてiPhoneのプレイリストをスクロールしていると、クリス・ステイプルトンのアルバム「トラベラー」で指が止まった。彼の代表曲「テネシー・ウィスキー」を思い出したからだ。元々のオリジナル曲はカントリーミュージシャンであるデイビッド・アラン・コーによって録音され、その後も同じ様なスタイルでカバーされていったのだが、クリスの場合はアルバムをレコーディング中に、今まで影響を受けてきた曲のカバーを録音することになり、このカントリー・ミュージック界が誇る名曲に大胆なアレンジを施すことにした。遊び感覚で参考にした曲はエタ・ジェイムズの名曲「アイド・ラザー・ゴー・ブラインド」だったらしい。まさに素晴らしいセレクトで、このエピソードを知った時にはホトホト感服してしまった。

 さてさてクリスの曲調も素晴らしいが、なんと言ってもこの曲は歌詞がいい。どうしようもなく落ちてしまっていた男が救われていくストーリーなのだが、彼を救ってくれた女性を酒になぞらえて歌っている。ま、もしかしたら?男の身勝手な理想像だと女性陣からは不満の声も上がっているのかもしれないが、とにかく男にせよ女にせよ、人は自分を理解し寄り添ってくれる人を探し求める生き物なのかもしれない。だとしたら…子供の時に見た両親の買い物風景は、僕にとっても幸せの景色だったのかと、今になって気がついている。

孤高の詩人と呼ばれた男

 髪型を変える時の理由は人それぞれだろうが、最近の僕の場合は”なんとなく”切ってしまったって感じだ。いつもなら襟足を短くしてしまうことには抵抗を感じていたのだが、そこも”なんとなく”その場のノリで切ってもらった。たいていそんな時は、後で後悔が付いてきたりするものなのだが、今回は周りの評判も8割が好評で、自分でも気に入っている。ま、残りの2割からは前に戻した方がいいと笑われたりもしているのだが…。

 とにかく今は新しい髪型を少しずつ馴染ませていく過程を楽しんでいるところだ。それに50代ともなれば髪質も変わってきている。デザインはシンプルで、居心地の良いスタイルが必要になってきている。ましてや洋服も食べ物も、飽きのこない定番なものに落ち着いてきたようだ。音楽の方の嗜好も、休日の台所でお酒とギターを楽しめる曲へと変わってきた。たいてい遅めのランチと言える時間帯から呑み始めるものだから、爽やかすぎる曲も、まったりとしてまう曲なども似合わない。色々と試してみている途中経過ではあるが、夏の終わりの夕暮れに1番ハマってくれたアルバムは、ヴァン・モリソンの「ムーンダンス」だった。

 さてこの古いアルバムだが、タイトル曲の「ムーンダンス」はもちろん「クレイジー・ラブ」「キャラバン」「イントゥ・ザ・ミスティック」へと続く流れも完璧で、アナログ盤で聴くことができる人ならば、さぞかしお気に入りのA面といった具合だろう。何度聴いても古き良きアメリカが浮かび上がってくる。それだけに始めて聴いた時はアメリカ人が歌っているものと思っていた。それでもモリソンはイギリスは北アイルランド出身である。どうやらレコード・コレクターであった親の影響を受けて、アメリカのルーツ音楽をひと通り聴いて育っていたとの事だった。小さい頃からマディ・ウォーターズ、ライトニン・ホプキンス、ジョン・リー・フッカーなどを聴いて育ったというのだから納得でもある。

 そしてそれはまた、ビートルズやストーンズがアメリカのブルースやロックンロールを追いかけていたのとも違う趣きが感じられる。青春を共に過ごした幼なじみと奏でるバンド・サウンドとは違う、一人きりの孤独の時間だったり、恋人と共有した時間を感じさせるものに仕上がっているような気がしている。音楽は多くの人たちと共有できるものでもあるが、とても個人的なものでもある。ヴァン・モリソンの歌声には、そんな個人的な感情を揺さぶる何かが含まれているようだ。いつしか孤高の詩人と呼ばれ始めたモリソンは、人物的にも付き合い難いと言われているようだが、普通に解り合える人間関係だけを結べていたら、こんな見事なアルバムは作れていなかったのかもしれない。

音楽と酒

 先月のはじめに胃カメラ検査をしてからというもの、お酒の方は遠慮しておこうと思っていたのだが、やっぱりというか、想定内というか、休日の昼間は自分でランチ・メニューを考え調理し、それに合わせてお酒とギターを楽しむスタイルを取り戻してしまった。少しだけ言い訳をさせてもらえば、「BRUTUS」という雑誌の特別編集である「音楽と酒」というものに出会ったしまったことが要因でもある。この雑誌の中では「飲んで聞く、2つの幸せを1冊に」というコンセプトで繰り広げてられていたからだ。ま、どちらかというと、夜が似合うBARのような雰囲気ではあったのだが…。

 けれども、その中でピーター・バラカンさんが「酒と似合うリスニング・バーを始めるとしたら、どのレコードをかけますか?」というコーナーがあった。ピーターさん曰く、イメージした店の座席数は30席ぐらいで開店は午後3時。アフタヌーン・ティー感覚でスタートして、夕暮れとともにBARに切り替わる感じで32枚をセレクトしたということだった。うーん、まるで僕の休日のランチタイムにピッタチリのコンセプトではないか。

 その紹介された32枚のアルバムの中に、スタンリー・スミスの「In the Land of Dreams」というアルバムも紹介されていた。ピーターさんの解説には、「このアルバムを聴くと、アメリカ南部の音楽的底力をしみじみ感じてしまいます」とあった。あちらには無名だけれどもイイ味を持っているミュージシャンがゴロゴロいるんだろうということだった。そこに興味を感じた僕は、初めて知ったその名前をさっそく検索してみた。ピーターさんのコメントは大袈裟でなく素晴らしかった。それどころか、今の僕が奏でたい音楽がそこに見えたような気もした。とにかくアルバムを通してイイ曲だらけで、こんなアルバムに出会ったのも久しぶりだった。「Sweet Butterfly」なんてカッコイイ時のショーケンが歌ってそうな曲なんだよね。

 さて、スタンリー・スミスは1945年にアメリカはアーカンソー州に生まれた。11歳の時に手にしたウクレレで音楽に目覚め、その後クラリネットも始めて16歳となった。さらに当時はフォーク・ブームということでギターも始めたが、フォークだけでなく、あらゆる音楽にも興味を持ち始めジャズやブルースまでもを演奏するようになっていく。

 その後1964年に軍隊に入隊した彼はフランスに配属され、そこでストリート・ミュージシャンとして街頭で歌うことも経験した。 退役後はミネアポリスでフォーク・クラブを運営したりもしたが、最終的にテキサス州のオースティンに住み着いた。 そこで古き良き時代の音楽を演奏する仲間と出会い「アサイラム・ストリートスパンカーズ」を結成し何枚ものアルバムを出していく。スパンカーズを止めた後は、ソロシンガー、クラリネット奏者として活動するようになり、57歳で初めてソロアルバムを出すのだが、やはり自分のルーツであるジャズをやりたくて、地元オースティンのジャズ・ミュージシャン達と「ジャズ・ファラオス」を結成し、自分の好きな音楽を楽しんでいると言うことだった。

 残念ながら現在の様子は調べても分からなかったけれど、77歳となった今でも自分の住む街で音楽を楽しんでいるような気がいている。本当にそうだとしたらとても嬉しい。2011年にはジャパン・ツアーもしてくれていたようだし、また来日して欲しいものだ。会いに行きたいミュージシャンがまたひとり増えた休日であった。