投稿者: SIGEN

「新しい生活様式」が始まり、ローカルバンドマンが選んだスタイルは、戦前ブルースマンと呼ばれる人達の様式美。およそ100年前に確立された音楽は、現在の状況さえも癒してくれるのではと研究中。

音楽と酒

 先月のはじめに胃カメラ検査をしてからというもの、お酒の方は遠慮しておこうと思っていたのだが、やっぱりというか、想定内というか、休日の昼間は自分でランチ・メニューを考え調理し、それに合わせてお酒とギターを楽しむスタイルを取り戻してしまった。少しだけ言い訳をさせてもらえば、「BRUTUS」という雑誌の特別編集である「音楽と酒」というものに出会ったしまったことが要因でもある。この雑誌の中では「飲んで聞く、2つの幸せを1冊に」というコンセプトで繰り広げてられていたからだ。ま、どちらかというと、夜が似合うBARのような雰囲気ではあったのだが…。

 けれども、その中でピーター・バラカンさんが「酒と似合うリスニング・バーを始めるとしたら、どのレコードをかけますか?」というコーナーがあった。ピーターさん曰く、イメージした店の座席数は30席ぐらいで開店は午後3時。アフタヌーン・ティー感覚でスタートして、夕暮れとともにBARに切り替わる感じで32枚をセレクトしたということだった。うーん、まるで僕の休日のランチタイムにピッタチリのコンセプトではないか。

 その紹介された32枚のアルバムの中に、スタンリー・スミスの「In the Land of Dreams」というアルバムも紹介されていた。ピーターさんの解説には、「このアルバムを聴くと、アメリカ南部の音楽的底力をしみじみ感じてしまいます」とあった。あちらには無名だけれどもイイ味を持っているミュージシャンがゴロゴロいるんだろうということだった。そこに興味を感じた僕は、初めて知ったその名前をさっそく検索してみた。ピーターさんのコメントは大袈裟でなく素晴らしかった。それどころか、今の僕が奏でたい音楽がそこに見えたような気もした。とにかくアルバムを通してイイ曲だらけで、こんなアルバムに出会ったのも久しぶりだった。「Sweet Butterfly」なんてカッコイイ時のショーケンが歌ってそうな曲なんだよね。

 さて、スタンリー・スミスは1945年にアメリカはアーカンソー州に生まれた。11歳の時に手にしたウクレレで音楽に目覚め、その後クラリネットも始めて16歳となった。さらに当時はフォーク・ブームということでギターも始めたが、フォークだけでなく、あらゆる音楽にも興味を持ち始めジャズやブルースまでもを演奏するようになっていく。

 その後1964年に軍隊に入隊した彼はフランスに配属され、そこでストリート・ミュージシャンとして街頭で歌うことも経験した。 退役後はミネアポリスでフォーク・クラブを運営したりもしたが、最終的にテキサス州のオースティンに住み着いた。 そこで古き良き時代の音楽を演奏する仲間と出会い「アサイラム・ストリートスパンカーズ」を結成し何枚ものアルバムを出していく。スパンカーズを止めた後は、ソロシンガー、クラリネット奏者として活動するようになり、57歳で初めてソロアルバムを出すのだが、やはり自分のルーツであるジャズをやりたくて、地元オースティンのジャズ・ミュージシャン達と「ジャズ・ファラオス」を結成し、自分の好きな音楽を楽しんでいると言うことだった。

 残念ながら現在の様子は調べても分からなかったけれど、77歳となった今でも自分の住む街で音楽を楽しんでいるような気がいている。本当にそうだとしたらとても嬉しい。2011年にはジャパン・ツアーもしてくれていたようだし、また来日して欲しいものだ。会いに行きたいミュージシャンがまたひとり増えた休日であった。

トム・ウェイツと呑む酒

 また胃カメラを飲みこむハメになってしまった。数週間前から”みぞおち”に鈍い痛みがあり、ヤバイ予兆は感じていたものの、コーヒーだけを我慢して、酒までは止めていなかったせいなのかもしれない。検査当日は「久しぶりのカメラですね」と声をかけられた後で「最近のカメラは細くなりましたから、だいぶ飲み込みやすいですよ」と励ましてもいただいたのだが、やはり涙とヨダレと鼻水でグチャグチャになってしまい散々だった。ま、検査結果としては大ごとにならずに済んだようで、しばらく禁酒をして薬を飲んでいれば落ち着くでしょうとのことだったが、他人から呑むなと言われれば呑みたくなるのが心情である。自分で決めたこともままならないのに、いつまで我慢できるものなのだろうか。しかたなしにトム・ウェイツでも聴き、酒場のイメージだけでも楽しもうと彼の歌声とピアノに耳をすましているのだが、禁酒への効果はあまり期待できそうにない。

 ところで正直に白状すると、トム・ウェイツのことは最近までは何となく知っている程度だった。それでも彼のアルバムは20代の頃に1度だけ購入したことがある。当時発売されたばかりの「Big Time」だ。しかし残念なことに、あのエキゾチックなサウンドと”しゃがれた声”は、若かった僕には手に余るものだった。結局そのアルバムは棚の端っこに収められたままになっていた。だがあれから30年近くの時間が経ち、自分のローカルな美容室に似合うルーツ・ミュージックを探し始めていた僕は、トム・ウェイツのことを突然思い出したのだ。でももしかしたら、トムのことが大好きな友人からの「アサイラム・レコード時期の作品は楽曲も素晴らしいし、あの独特な声も大げさじゃないから聴きやすいよ」というアドバイスのことを思い出していたのかもしれない。

 さてさて、未だに初期に発表された3枚だけを繰り返し聴いているような僕がトム・ウェイツを語ると笑われそうだが、それでもこれらのアルバムは本当に素晴らしいという事だけは伝えておきたい。実際に店で流れている時も「これってトム・ウェイツ?」と、お客さんからの反応も上々だった。古くからそこにあるようなメロディを、アコースティックでジャズ的なアレンジにして歌いあげている。歌詞の方も16歳で高校を中退してピザ屋の店員として働いた頃の経験から、夜から朝方までうごめく人々の様子を描写しているものが多く、寂しい人生を送る同胞達に寄り添ってくれているのだ。

 だから2ndアルバムのタイトル曲になった「土曜日の夜」などを聴けば、あなたもトムの街の住人としてカウンターの片隅にでも座ることができると思う。そして久しぶりのタバコに火をつけ、お気に入りの飲み物を注文している自分までもを想像できるかもしれない。と、言うわけで、僕のように療養中の方もトム・ウェイツを聴きながら酒が呑めるようになれたらいいですね。快気祝いの一杯は”しみじみ”としちゃうはずだから。

王様と言うよりスーパースター / B.B.キング

 今年のプロ野球の話題はなんと言っても佐々木朗希投手だ。160Kを超えるストレートと、140K後半のフォークボールで完全試合をやってのけてしまった。地元の選手ということで高校生の頃から応援しているが、まさかこんなにも凄い活躍をしてくれるとは予想できていなかった。本当にありがとう。あの圧倒的なピッチングは、もはや芸術作品だ。それを示すかのように、完全試合を決めた後のチケットはソールドアウトで、その芸術的なピッチングに酔いしれたいファン達に注目されていた。誰もかれもが、この時代に抱え込んでしまった思いを解放してくれるヒーローを待ち望んでいたかのようだった。

 さて、その佐々木投手だが、甲子園出場をかけた岩手県大会の決勝では、登板を回避したということで大きな話題となってしまった。あの時は多くの賛否が飛び交い、勝手に重石を背負わされてしまったわけだが、この完全試合で一旦の区切りはつけられたのではないだろうか。まさにブルース(憂鬱)ってやつは、誰にだって落とされてしまうものだが、時間をかけて取り組むことで、それを払い退けられることを証明してくれたように思えてくる。

 さてさて、これからスーパースターへの階段を駆け登っていくであろうと期待してしまうのが佐々木投手であるならば、ブルース界のスーパースターであり続けたのはB.B.キングだ。彼の編み出したブルースの常套手段は数知れず、89年という生涯を終えるまで王様の椅子に座り続けたのである。「3 O’Clock Blues 」がヒットした1951年から、2015年に亡くなるまで、少なくともブルース界において、B.B.キング以上の存在感を示した者はいなかった。それまでのブルースの歌い手はR&B・チャートでヒット曲を出すことはあっても、ポップ・チャートにまで顔を出すことは少なかったのだが、B.B.が57年に発表した「Be Careful with a Fool」は、ゴスペル調のボーカルにホーン・セクションをバックに従えた新しいサウンドで、それまでの田舎くさいブルースを払拭し、アーバン・ブルースというスタイルを作り上げて、ポップ・チャートにまで名前を連ねてみせた。

 もちろん、ギター・プレイにおいても独自のスタイルを完成させていく。それまでのボトルネック奏者だけがなし得ていた咽び泣くようなスライド奏法の音を、チョーキングと素早いビブラートで表現し、誰よりもセクシーな音色で肉感的に迫ったのであった。このスタイルを完成した時期の演奏映像がこちらで、とてもセクシーだと感じてしまう。どこか懐かしく切ないサウンドは、古いとか新しいという議論を超えた不滅のスタンダードとなっている。どうやら68年の映像のようで、ライブ・アルバムの必聴盤とされる65年の「Live At The Legal」や67年の「Blues Is King」を彷彿させるものだと思う。

 この頃のB.B.は、ジミ・ヘンドリックスなども取り上げてスタンダードとなった「Rock Me Baby」や、グラミーショーを受賞した「Thrill Is Gone」を発表した時期とも重なり、ブルースをエンターテイメントにまで昇華させていた頃だ。ライブに詰めかけた人たちの様子は、ブルースを聴衆している人たちとは思えないほど高揚している。そして人種の隔たりもなく誰もが笑顔だ。どのジャンルのスーパースターたちも、まず記録や成績から語られるものだろうが、正真正銘のスーパースターの第一条件は、人々を笑顔にしてくれるということなのかもしれない。

 と言うことで、佐々木投手もガンバッテね!