投稿者: SIGEN

「新しい生活様式」が始まり、ローカルバンドマンが選んだスタイルは、戦前ブルースマンと呼ばれる人達の様式美。およそ100年前に確立された音楽は、現在の状況さえも癒してくれるのではと研究中。

チャンネル登録者数100人

 おかげさまでYouTubeのチャンネル登録者数が100人となりました。応援してくださった方々、本当にありがとうございました。特別に役立つ情報を提供しているでもなく、ただ自分が好きなブルースを演奏しているだけのチャンネルにもかかわらず、コメントをくださったり、グットボタンを押して盛り上げていただきました方々にも感謝しております。超スローペースでの更新になっていますが、今後も続けていきますのでよろしくお願いいたします。

 さて、そんな記念すべき100人達成動画の曲は『横浜ホンキートンク・ブルース』です。僕のチャンネルでは邦楽ではなく、アメリカのルーツ・ミュージックを多く取り上げてきました。だからこそ、これこそがブルースだよというような曲にしようかと思ってはいたのですが…。そのルーツ・ミュージックを探っていくと、日本でも同じようにブルースを遡っていったミュージシャン達の足跡を発見するようになっていました。

 例えば、憂歌団、ウエストロード・ブルーズバンド、ブレイクダウンらと、他にも素晴らしいバンドの軌跡を見つけることができたのです。彼らはしっかりとルーツ・ミュージックに根を張り、その養分を吸い込んで日本のブルースの土壌を耕していました。けしてメジャーにはなり得ないだろうブルースという音楽を愛していたのです。いや、愛していたというよりも、必要としていたように感じてしまいました。

 僕もブルースが好きとか愛しているとかいうよりも、必要としていいるのです。日々の暮らしのシメにはブルースが必要なのです。だからこそ、歌い継がれてきた日本のブルースを僕も歌いたいと思いました。

 さてさて、『横浜ホンキートンク・ブルース』は、俳優の藤竜也さんが作った歌詞に、ザ・ゴールデン・カップスのエディ藩さんが曲を付けた楽曲です。原田芳雄さん、松田優作さんと、俳優陣らにも歌い継がれてきました。きっと彼らもまたブルースという形式にハマっていたのではないでしょうか?

 12小節や、8小節で繰り返されるブルースの形式には癒しがあるのです。何度も繰り返していく様は、まるでメリーゴーランドのような人生のようでもあります。餌を前にして走り回るネズミのような人生でもあります。それでも、一瞬だけでも楽になれる。そんな希望が持てる音楽のように思えてならないのです。

 世の中はどんどん生き難くなってきました。年齢を重ねてきたら余計にそう思います。やはり僕にはこれからもブルースが必要になってきそうです。

 それでは改めまして、今後ともよろしくお願いいたします。

Need Your Love So Bad / フリートウッド・マック

 ピーター・グリーンが在籍していた当時のフリートウッド・マックのベスト版を手に入れました。これがなかなか興味深い曲が多くて正月中は頻繁に聴いていました。ま、どうやらレコード会社の移籍問題で、全アルバムから網羅されていないというところは残念でしたが、それでも挿入されている楽曲は全英第1位になった『Albatross』や、サンタナがカバーして大ヒットした『Black Magic Woman』、そしてエアロスミスがカバーした『Stop Missin’ Around』、『Oh Well』などのブルースが好きなギタリストならではの名曲が満載でした。そうそう、これらの曲はジョー・ペリーが歌っているってところにピーターへのリスペクトを強く感じますよねそして新たなRockの創造をレッド・ツェッペリンよりも先にっやっていた感じがしてきますし、クリーム時代のクラプトンもかなり影響を受けていたはずです。

 さて、ここからは完全に個人的な好みというか、今の自分とのフィット感の話になってしまいますが、ハードなギターサウンドというか重いリズムの楽曲よりも、『Need Your Love So Bad』のノスタルジーを感じる曲に心が動いてしまいます。それはまるで昭和の風景じゃないかと言われてしまいそうなのですが、その切なさや、甘酸っぱさに包まれることを望んでいる自分がいるのです。なぜなのかは分かりませんが、もしかしたら10代の後半に憧れを抱いた大人へのイメージが湧き上がってくるのかもしれません。

 さてさて、結局あの頃に憧れたカッコいい大人にはなれませんでした。自分が大人に成り切ってしまった今、あの頃に憧れた大人のように美学を通せていないのがとても残念です。それでも…ここまでの後悔を強く噛み締めて生きていけば、ここから先は美学を通せるのものなのでしょうか。

Rolling Stone

 ついにローリング・ストーンズが18年ぶりとなる新作スタジオ・アルバム「Hackney Diamonds」を発表してくれました。キース・リチャーズは「全てはチャーリー・ワッツへのトリビュートだ」とのコメントを発表していましたが、喜んでいたのはチャーリーだけではなく、ファンの僕らも同じです。こうしてまたストーンズの新曲を聴くことができるのはとても嬉しいことですよね。いつもと同じ通勤途中の風景も、ガンガンにボリュームを上げて聴けば無敵になってしまいます。やっぱりストーンズはいいですね。それでも先行ダウンロードとして発表された「Angry」と「Sweet Sounds Of Heaven」を聞いた時点では、ミック・ジャガーは元気そうだけれど、キース・リチャーズの体調は大丈夫なのかと、とても心配していました。最近のライブ映像や音源を聴く限り、リュウマチのせいなのか?思うように腕や手を動かせていないようにも見えていたからです。実際にその先行ダウンロードされた2曲でも、キースはあまり弾いていないのでは?と不安の方が大きくなっていました。

 ところが、そんな心配は発売日に吹き飛んでしまいました。アルバム全体の楽曲も素晴らしかったこともありましたし、ポール・マッカートニー、スティーヴィー・ワンダー、レディー・ガガ、エルトン・ジョン、ビル・ワイマンら、豪華ゲストを迎えたことで、聴きどころも満載で、その日はニヤニヤしながら聴き入ってしまいました。そしてなんと言っても、ラストに収録された「Rolling Stone Blues」のギター・リフが鳴り出した頃にはキース・リチャーズ様に最敬礼をし、思うように弾けていないのでは?などと疑ってしまったことをお詫びいたしました。ミックのボーカルとハープに絡み合うギター・サウンドは、変わらずに唯一無二の存在感だったからです。ま、ミックとキースにとっては、マディー・ウォーターズのレパートリーはブルースのDNAとして、彼らの中に受け継がれているものなのでしょうが、それを持っていたとしてもこのカッコよさには痺れてしまったのです。

 さて、ストーンズのバンド名ともなったマディ・ウォーターズの「Rolling Stone」ですが、1950年の2月にシカゴで吹き込まれ、同年の6月に「Walkin’ Bluse」とのカップリングとして発売されました。売り上げの方も好調だったようで、この頃からマディは昼間の仕事を辞めて演奏活動に専念できるようになったと言われています。シカゴブルースのボスとして成り上がっていく直前の歌声には、自分のスタイルに手応えを感じ始めたマディの自信が見え始めているような気がします。

 その自身の現れは歌詞にも描かれていて、自分をキャットフィッシュ(ナマズ)に例えて「深くて青い海で泳ぐナマズは、美女たちに釣り上げられる」と歌います。自分は男としての魅力的で、モテすぎちゃって困るのさってな感じです。後に歌われた「Hoochie Coochie Man」ではその自己顕示欲が強く現れ「女を満足させる男」だとセクシーに歌われるようになっていくのですが、当時は女性が仕事を得て自立できる環境は少なかったため、より強い男性像が求められていたのかもしれませんね。今の時代だと「俺が女たちを満足させるのさ」なんて歌ったら「何を勘違いしているの」と容赦無く平手打ちでもお見舞いされそうです。

 つまりマディが大活躍していた時代は、キツイ仕事でなんとか稼いできた男たちが、男としてきちんと認められた良き時代だったとも言えるのではないでしょうか。男としては女に認められてこそ、本物の男になれるって感じです。そしてそれは今でも続いているようでもあります。でも今の時代は、女たちも認めたがられていて、結局お互いが自分を自分をと主張すぎて上手くいかないことが増えているような気もしています…。

 あ、これ以上に嘆くと、またアンチが増えそうなので今回はこのへんで失礼致します。