投稿者: SIGEN

「新しい生活様式」が始まり、ローカルバンドマンが選んだスタイルは、戦前ブルースマンと呼ばれる人達の様式美。およそ100年前に確立された音楽は、現在の状況さえも癒してくれるのではと研究中。

Danny Boy / なかにし礼

「ダニーボーイ」は、アイルランドで歌い継がれてきた民謡に歌詞を付けたものです。今では様々な歌詞も存在していますが、アイルランドの独立運動のために闘いに行ってしまった息子を悲しむものがよく知られています。

 日本語でもいくつかの歌詞があります。中でもなかにし礼さんが手掛けた歌詞からは、戦争体験者としてのメッセージを受け取ることができます。

 ところが、今日もまたウクライナ情勢は激しさを増しています。

 富や利益だけを追求した人間の愚かな醜態が映し出されています。

 幸せな暮らしを、争いで勝ち取ろうと勘違いしているかのようです。

 たしかに、ぼくも、あれ程酷くはないにしても、調子にのっていました。もっと便利に、もっと贅沢に、もっと儲かるように、そんなことばかりに目を奪われていました。

 そうなのです、肝心な暮らしには手に余るものばかりに目を奪われていたのです。

 でも、要らぬ思いは降ろします。

 ただし、「NO」と伝える意志は持っていようと思っています。

 政治家じゃなくても、有名じゃなくても、「STOP THE WAR 」と伝えます。

 穏やかな暮らしの中にこそ、幸せはあると気がついているからです。

*ユニセフのウクライナ緊急募金サイトも紹介させてください。

 

Come On In My Kitchen / ロバート・ジョンソン

 休日の夕方、誰もいない台所で窓の外を眺めていた。昨年ほどの積雪量ではないが、相変わらず今年の冬も寒い。呑むには少し早い時間だが、こんな日は雪見酒だとお気に入りのお酒を温めた。その間にギターを手にして弾いてみる。いい感じのリバーブが部屋全体を包みこんできた。その音は自分の部屋で弾くのとは違っている。当たり前のように、すぐにお酒も利いてきてしまった。

 そういえばあのロバート・ジョンソンの歌に「Come On In My Kitchen」があったのを思い出した。「台所に入ってきなよ、もうすぐ外は雨になる」ってやつだ。あのスライド・ギターと共に繰り出されるフレーズには、彼がブルースに求めた全てのものが詰まっているようだ。不用意に真似したら自分の台所にも悪魔がやってくるかもしれない。恐る恐るだが出だしのフレーズをなぞってみる。なんとなく優しい気分にもなれた。それとわずかに寂しい気分も残った。とにかく彼を表現するのに使われている”デモニッシュ”とは遠い気分だった。空想がまた深まっていく。

 ロバート・ジョンソンの名前を知ったのは山川健一さんの小説かコラムだったと思う。我々世代によくあるエピソードのひとつ、ローリング・ストーンズからロバート・ジョンソンへの道を自分も辿ってしまったのだ。作家である山川さんは熱狂的なストーンズ・ファンであり、彼の文章からストーンズとジョンソンの名前をよく目にするようになっていた。それらを追いかけ読み漁るうちに、いつしかそのブルースマンを好きになってしまっていた。それでもジョンソンのアルバムを実際に購入できたのは、彼を知ってからずいぶん後の1990年のことだった。その年に発売された「The Complete Recordings」という2枚組のアルバムには、彼がレコーディングした29曲と、別テイクが合わせて収録されていた。今しがた、久しぶりにそのライナー・ノーツを眺めて見ていたのだが、ぎっしりと書かれている解説や、キース・リチャーズ、エリック・クラプトンをはじめとするインタビューなど、他にも貴重な証言が多いことには改めて驚いてしまう。

 さて解説によると、さまざまな憶測が飛んでいたジョンソンの死亡説は、ジューク・ジョイントの店主が、自分の妻を誘惑するジョンソンに嫉妬し、ウィスキーに毒を盛らせたとして決着がつけられている。それにしてもジョンソンの生涯は、他にも女たちとの”よこしまな情事”を盛り付けて語られている。実際にレコーディングされた29曲の歌詞にも猥雑なものも多い。しかし、ここだけを取り上げているだけでは彼のブルースは理解できないだろう。当時のミュージシャンたちがそうしたように、彼もまた街角やジューク・ジョイントのような酒場で歌いながら曲を作り上げていたからだ。客が踊りやすいようなリズムとか、歌詞にしてもその場の客が楽しめるように作られていたはずである。商業音楽として食べていくための要素が含まれていたことは容易に想像できてしまうのだ。

 しかしながら、本当の意味でジョンソンをブルースへと強く向かわせたのは、最初の結婚が無惨に消し去られてしまったことだった。死産という形で妻と子供を一緒に亡くしてしまった心の傷を癒してくれるものこそ、彼のリアルなブルースだった。そう言えばロバート・ジョンソンの歌を演奏すると、置き去りにされた気分になってしまう時がある。自分の元を去っていく女の情景を歌った「Love In Vain Blues」なんてまさにそうだ。他のブルースマンとは違う憂鬱がひっそりと残ってしまう。やれやれ…。気楽に休日のキッチン・ブルースを楽しもうと思っていたのだが、彼のブルースはそう簡単にはいかないらしい。いったいこの憂鬱はどうしたら取り除けるものだろう。

 

What a Wonderful World / ルイ・アームストロング

 年末からジャズ・ギターを習い始めた。ついにと言うべきなのか、ようやくと言うべきなのかは分からないが、始まったと言うことはその時が来たと言うことなのだろう。ロックンロールにかぶれていた時期はジャズを聴くこともなかったが、ブルースに癒されるようになった頃からはジャズという音楽にも頻繁に交差するようになっていた。ただ、ロックやブルースのギタリスト達から受けたような、衝動という揺さぶりがそうさせたのではなかった。この音楽をもっと知りたいと思わせたのは、ビル・エバンス・トリオの音楽のせいだった。彼らのサウンドは自分の美容室によく似合っていた。あの音楽を聴きながらヘア・カットしていると、お客さんの髪の毛について彼らと会話しているようでもあり、その仕上がりも普段と違って見えているようだった。歌詞もなく、もちろんシンガーのいない即興音楽がどうしてココロを満たしてくれるのだろう。この少しだけの幸福感の理由を知りたかった。

 ところで、どの分野でもそうだろうが、何かの技術を手に入れるのはそう容易いことではない。美容技術にしても長い日々の積み重ねがあった。ジャズ・ギターもすぐに弾けるようになるわけではないことを分かっていた。それでも初日のレッスンからつまずくとは思ってもいなかった。単純なブルースのウォーキング・ベースが弾けないのだ。指一本でも弾けるようなラインでさえついていけなかった。この山は相当に高そうである。

 さて、ジャズ・ギターにも取り組むことになったことを記念して、ジャジーな曲を弾いてみようと思った。難しく迷いそうな道に入ってしまったのだが、とにかく始まりくらいは楽しく行きたいということでルイ・アームストロングの代表曲「What a Wonderful World」を選んだ。もちろんこの曲はまだ習ってはいない。ルイの演奏のようにように幸せになれたらいいという願いを込めてということだ。

 ルイ・アームストロングはニューオーリンズのアフリカ系アメリカ人が多く住む貧しい地区に生まれた。楽しみが少なかった子供の頃、祭りに浮かれてピストルを発砲してしまい少年院に送られてしまう。当然のようにそこでの生活はとても厳しく辛いものであった。それでもブラスバンドで出会った楽器と音楽が彼を救い始めていく。しばらくすると院内での起床、食事、消灯の合図のラッパを吹く係に任命されることにもなった。前任者の少年が何かの事情でいなくなってしまったのでルイにその役が回って来たのである。大急ぎで合図のラッパの吹き方を覚えた彼は見事に代役を果たした。しかもそればかりではなく、そこで生活している者たちが楽しく朝を迎え、安らかな気持ちで眠りに就くことができるようになったということだった。なんという素晴らしい才能だろう。彼のスタイルは初めから完成していたのかもしれない。

 ルイの演奏の様子を見ていると、いつもにこやかに笑っている。辛いことなど持ち合わせていないかのようだ。その理由のひとつはニューオリンズのマーチング・バンドで育ったことだろうか。伝統的なパレードは埋葬に向かう人々の心を鎮めるためのものでもあるし、そこからの帰り道は、故人の魂の解放を表すために明るい音楽を奏でて天国へ行くことを祝うものでもある。そしてこの底抜けの明るさは、まるでルイの笑顔のようでもある。生への果てしなき喜びを表現し演奏している彼は、本当に楽しくてしょうがなかったのかもしれない。ブルースという音楽が人生の憂いを慰めるものならば、どうやらジャズという音楽はその憂いを解放してくれる効果もあるらしい。もしもそうであるならば、習い始めたジャズ・ギターもそうなって欲しいものだ。