WBCでの侍ジャパンの活躍に衝撃を受けてしまい、大会が終わった後の一週間というものは、完全に侍ロスになってしまいました。ま、僕に限らず、同じような状態になってしまった人は多いのではないでしょうか。スポーツは筋書きの無いドラマと言われていますが、神様が描いたとしか言いようのない結末には誰もが驚いたはずです。
そして勝敗だけにとらわれず、日本人メジャーリーガーの存在には日本中を元気にするチカラが宿っていました。ダルビッシュ選手にしろ、大谷選手にしろ、長年MLBで培われたノウハウを惜しまずに国内選手に伝える姿には、映像を見ているだけなのに嬉しさが込み上げてきました。以前のスポーツ界ならば、次の世代に追い抜かれることを心配して、アドバイスを送ることも少なかったり、ライバルは蹴落としても勝つのだという風潮があったかと思いますが、そんなことを超越して競い合い認め合う様子に感動させられていたのかもしれません。勝利優先を植え付けられて育ってきた昭和生まれの僕にとっては、楽しく真剣に試合に挑んでいく選手たちの姿はとても印象に残りました。
小学、中学と、自分も野球部に所属していましたが、楽しんで野球ができた経験は少なかったように思います。そんな経験があったことで、スポーツよりも音楽に惹かれるようになっていきました。見よう見まねで始めたギターという楽器も、自分なりの成長を楽しめるものでいてくれたし、何よりも好きなアーティストの音楽を聴いて”その気”になってマネをすることは喜びでもありました。そこには誰かに負けたら自分が消えてしまうといった悲壮感がなかったからです。
ところで最近になって思うことは、競い合うスポーツの世界でもアーティスティックな選手が増えてきていること。そして一流と呼ばれる選手になればなる程に、優しさも持ち合わせていることです。自分にチカラが付いてくれば、横柄な態度も取りがちだと思うのですが、そういう一面もほとんど見たことがありません。やはり楽しんでいるからこそなのかもしれませんね。バットをこう振ればホームランを打てるよとか、スライダーはこうやって握って投げれば曲がるよと、シンプルにそう伝えたいだけなのかもしれません。こんな感じの選手なら、引退したとしても幸せな野球人生を送れそうです。
さて、今回は来日が決まったボブ・ディランの曲を取り上げてそれについて書こうと思っていたのですが、関係のないWBCについて話してしまいました。どうにかこじつけてディランへの話題と繋げようとも思いましたが、どうにもできずに潔く諦めましたwwwww.
それでもなんとか最後に付け加えると、ブルースのようなルーツ音楽を追求していくと、ディランをカバーしているたくさんのアーティストたちに出会うこととなりました。ディランの曲調はフォークソングやブルースのメロディーを基調にしたシンプルなものが多いのですが、その歌詞の方は、人間の深い部分の心理を歌ったものが多く、日本人だけでなく英語圏の人にとっても難解なものが多いようです。それでも歌い継がれているということは、人生の真理を歌っているということなのだと思います。人生のどこかで歌いたくなる歌。それがディランの曲なのかもしれません。僕が今回演奏してみた「Make You Feel My Love」も、アデルのものが有名です。恋人に向けられた歌詞だとは思いますが、家族や友人、大切な人に向けられた歌だとも言えるでしょう。こうしてみると、ディランが野球チームを作っていたとしても、慕われていたと思わずにはいられません。