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Hard Times / レイ・チャールズ

 新しいギターを手に入れました。初めてのフルアコです。本格的にジャズギターを習い始めて、どうしてもアコギだけでは演奏が厳しくなってきていたからです。アーチトップと呼ばれるこのタイプのギターは、中身が空洞でできているためにサウンドが暖かく、多くのジャズやブルースのレジェンド達に愛されてきた楽器でもありました。

 ただ…エレキギターを手にすることに対しては不安もありました。エレキギターを持つと、どうしてもギターの音を追求したくなってしまうからでした。ま、追求というとカッコよく響きますが、つまりは腕を磨くよりも機材に夢中になってしまい、エフェクターやアンプを取り替えてみたり、結局最後にはギターまでも取り換えてしまうという感じで、その深〜い沼にハマった経験があったからです。

 その点、なぜかアコギは別のギターが欲しいとかにならずに済んでいました。電気を通す、通さないでこれだけ違うのは不思議でしたが、より原始的で直接的なアコギだと、ここまでですよといった”諦め”のようなものが初めから用意されていたからなのかもしれません。

 さて、そんなフルアコを使って初めて弾いてみた曲はレイ・チャールズの「ハード・タイムズ」です。1961年にリリースしたコンピレーションアルバム「ブルースを歌う」(The Genius Sings the Blues)に収録されたバラードナンバーなのですが、とてもブルージーで大好きです。この曲のコード進行は、一般的な3コードのブルース進行とは違い、コードの数も多くて複雑になっていますが、フレディ・キングが歌った「Same Old Blues」や、日本では聖子ちゃんが歌った「スウィート・メモリーズ」の歌い出し部分なども、この進行で歌うことができるので、王道のバラード進行と言えるでしょう。とにかく古くならない懐かしさがいいですよね。夏を迎える今の季節にはぴったりだと勝手に思っています。

 そして歌詞の方はというと、けしてロマンチックなものではなく、「神様、俺の苦しみを理解してくれる奴はいるのかい?」といったように、様々な苦しみの出来事から解放して欲しいと、ヤケクソ的な感じです。

母は亡くなる前に言った、祈る事を忘れるなと
その意味はすぐにわかった
愛する女も、俺が貧しくなると、俺を捨てた
いつか悲しみのない日が来るのさ

そう、死んでしまえば、このつらさともオサラバできるだろうな
神よ、俺より人生のつらさを知っている者はいるのかい?

 レイ・チャールズも、幼少期に失明を負いながら生きなくてはならない状況もありましたし、当時の黒色人種の置かれた立場では、辛く哀しいことでも、楽しいリズムやロマンチックなサウンドに乗せて、やり切っていく必要があったのかもしれません。いつしかブルースは”泣かないでいるための音楽”とも言われるようになりました”。諦め”の中にも自由を見出した力強い音楽なのだと思います。

 さてさて、とにかくこの辺りの深い状況は、日本に生きている僕たちには想像もつきにくいものですので、2004年に公開されたレイ・チャールズの伝記映画「レイ」を見て欲しいと思います。レイ・チャールズ本人が主演のジェイミー・フォックスに演技指導もし、映画に深く関わって作成された作品のようですよ。