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Tomorrow Night / ロニー・ジョンソン

 随分と長いこと技術職で喰いつないできた。振り返りたくはないのだが、時折ふとした瞬間に思い出すことがある。それは残念なことに恥ずかしい事件の数々だ。もちろん手前味噌ながら、素晴らしい出来栄えの仕事もしてきたつもりだ。それなのに思い返す多くの出来事は失敗と苦悩の方が実に多い。ホントにやれやれなのだ。どの分野でもプロと呼ばれる人たちは自分の技術と引き換えに報酬を得るのだが、どんなに高額のギャランティだとしても、それを安いと思わせる程の腕まえを持つ人物は限られる。自分もそうありたいと願ってはいるが、いつかその時が訪れてくれるのだろうか。せめて今は報酬以上のことはできるように準備だけはしておこう。後悔のないように。

 さて、およそ100年前のプロ中のプロと言えばロニー・ジョンソンだ。アメリカン・ミュージックを語る上で欠かせない原点の一人であるからでだけではなく、1925年から1970年に亡くなるまでの45年間に相当の数のレコーディングをこなしている。ブルース、ジャズ、ラグタイムにフォークに、ポップスと、様々なテイストを取り込んだギタースタイルは、音楽的にもテクニック的にも当時の最先端の音楽だ。さらには洗練された華麗なギターフレーズに甘いボーカルと、リスナーを心地よくさせるエンターテイメント性まで持っていたのだ。売れっ子にならないはずがない。

 1894年、音楽一家に生まれたロニーは、幼少の頃からギターやヴァイオリンに親しんでいた。『僕は正規の教育は一切受けていないんだけど、全てのことは親父から学んだよ。日常の読み書きも、音楽のことも』全てのことは親父から学んだというだけあって、10代後半には父親のストリングバンドに入ってバンケットやウェディングパーティで演奏していた。まさにミュージシャンズ・ミュージシャンになる運命だったようだ。

 しかし1919年、巡業先の英国から帰国後、ロニーと年上の兄ジェームスを残して、家族全員がインフルエンザで亡くなるという悲劇に見舞われている。現代のコロナ禍との類似が指摘されるスペイン風邪だ。当時のパンディミックは、第一次世界大戦の中でアメリカ軍の欧州派遣によって世界中にばら撒かれることになったのだが、コロナ騒動の発端にしてもウィルス戦争という噂話も出ている。とにもかくにも戦争はダメだな。

 さて、その後ロニーは兄とデュオを組み、米国各地を放浪しながら音楽で生活していた。1925年には結婚もし、妻メアリーとも音楽の行動を共にしながらブルースコンテストで優勝し、オーケーレコードでのレコーディングのチャンスを掴んでいる。驚くことに1932年までに130曲をレコーディングしたと言われている。ま、その頃のブルースは歌詞を少し変えただけとかで、同じような曲も多かったとは思うが、当時の環境で130曲というのはものすごい。どれだけ人気と実力を兼ね備えていたのだろう。ベッシー・スミスとのツアーや、ルイ・アームストロングとの共演。さらにはデューク・エリントンとも共演していることから分かるように、凄腕のギタリストとして人気があったロニーのスタイルは、単弦奏法でアドリブ・メロディを弾くというスタイル。コードでバッキングをすることが多かったギターに、メロディをのせたアドリブソロを展開したというわけである。まさにその後のジャズ・ギターの先駆けとなるものであったというわけだ。

 ところで、彼の音楽はブルースとジャズを行き来していたと形容されているが、それらを噛み砕いたスウィートなポップス曲も忘れてはならない。1948年にリリースした「Tomorrow Night」ではチャートの1位にもなっている。しかも7週連続ナンバーワンという大ヒットだった。演奏を聴いてみると、時折早いパッセジーも魅せてくれるが、「Playing With The Strings」での曲芸の域に達するギターフレーズなどから比べると、甘ったるいお菓子のようでもある。実際にキングレコード会社の重役達も、なよなよしたセンチメンタルな歌詞にも反対で、売れそうにないと判断していたらしい。しかし大衆は違った。白人でさえも飛びついたのだ。音楽に限らずに『いいもの』『ココロ震えるもの』にはシンプルな旋律が宿っているものが多い。テクニックだけでは感動を呼び起こせないということなのだろう。

 晩年のロニーはミュージックシーンから姿を消していたのだが、61歳の時にブルースとジャズが交差する名盤「Blues And Ballads」で復活している。これ程の癒しはないのではと思えるほど勇気づけられ、また最近よく聞いているのだが、ブルースとジャズを繋いできた彼だからこそ成せた技は、脈々と受け継がれてきた豊饒なアメリカンミュージックだ。ロバート・ジョンソン、T.ボ-ン・ウォーカー、B.B.キングといったブルーズマンだけでなく、チャ-リ-・クリスチャンやジャンゴ・ラインハルトといったジャズ・ギタリストにも影響を与えた偉大なギター・マスターが行き着いた場所は、余韻という静寂な場所だったのかもしれない。

 誰もが後悔のない人生を送りたいと願っていることだろう。人生最後の夜は何を想うのだろうか。死から生還した人に出会ったことがないからアンケート調査はできないが、ロニーが行き着いた余韻のように終えられたらと答える人は多いのかもしれない。さてさて、最後がいつになるか分からないが、その余韻を迎えるには、まだまだしんどいこともやり過ごしていくしかないようだ。ブルースはまだまだ止まらない。