カテゴリー: マディ・ウォーターズ

Rolling Stone

 ついにローリング・ストーンズが18年ぶりとなる新作スタジオ・アルバム「Hackney Diamonds」を発表してくれました。キース・リチャーズは「全てはチャーリー・ワッツへのトリビュートだ」とのコメントを発表していましたが、喜んでいたのはチャーリーだけではなく、ファンの僕らも同じです。こうしてまたストーンズの新曲を聴くことができるのはとても嬉しいことですよね。いつもと同じ通勤途中の風景も、ガンガンにボリュームを上げて聴けば無敵になってしまいます。やっぱりストーンズはいいですね。それでも先行ダウンロードとして発表された「Angry」と「Sweet Sounds Of Heaven」を聞いた時点では、ミック・ジャガーは元気そうだけれど、キース・リチャーズの体調は大丈夫なのかと、とても心配していました。最近のライブ映像や音源を聴く限り、リュウマチのせいなのか?思うように腕や手を動かせていないようにも見えていたからです。実際にその先行ダウンロードされた2曲でも、キースはあまり弾いていないのでは?と不安の方が大きくなっていました。

 ところが、そんな心配は発売日に吹き飛んでしまいました。アルバム全体の楽曲も素晴らしかったこともありましたし、ポール・マッカートニー、スティーヴィー・ワンダー、レディー・ガガ、エルトン・ジョン、ビル・ワイマンら、豪華ゲストを迎えたことで、聴きどころも満載で、その日はニヤニヤしながら聴き入ってしまいました。そしてなんと言っても、ラストに収録された「Rolling Stone Blues」のギター・リフが鳴り出した頃にはキース・リチャーズ様に最敬礼をし、思うように弾けていないのでは?などと疑ってしまったことをお詫びいたしました。ミックのボーカルとハープに絡み合うギター・サウンドは、変わらずに唯一無二の存在感だったからです。ま、ミックとキースにとっては、マディー・ウォーターズのレパートリーはブルースのDNAとして、彼らの中に受け継がれているものなのでしょうが、それを持っていたとしてもこのカッコよさには痺れてしまったのです。

 さて、ストーンズのバンド名ともなったマディ・ウォーターズの「Rolling Stone」ですが、1950年の2月にシカゴで吹き込まれ、同年の6月に「Walkin’ Bluse」とのカップリングとして発売されました。売り上げの方も好調だったようで、この頃からマディは昼間の仕事を辞めて演奏活動に専念できるようになったと言われています。シカゴブルースのボスとして成り上がっていく直前の歌声には、自分のスタイルに手応えを感じ始めたマディの自信が見え始めているような気がします。

 その自身の現れは歌詞にも描かれていて、自分をキャットフィッシュ(ナマズ)に例えて「深くて青い海で泳ぐナマズは、美女たちに釣り上げられる」と歌います。自分は男としての魅力的で、モテすぎちゃって困るのさってな感じです。後に歌われた「Hoochie Coochie Man」ではその自己顕示欲が強く現れ「女を満足させる男」だとセクシーに歌われるようになっていくのですが、当時は女性が仕事を得て自立できる環境は少なかったため、より強い男性像が求められていたのかもしれませんね。今の時代だと「俺が女たちを満足させるのさ」なんて歌ったら「何を勘違いしているの」と容赦無く平手打ちでもお見舞いされそうです。

 つまりマディが大活躍していた時代は、キツイ仕事でなんとか稼いできた男たちが、男としてきちんと認められた良き時代だったとも言えるのではないでしょうか。男としては女に認められてこそ、本物の男になれるって感じです。そしてそれは今でも続いているようでもあります。でも今の時代は、女たちも認めたがられていて、結局お互いが自分を自分をと主張すぎて上手くいかないことが増えているような気もしています…。

 あ、これ以上に嘆くと、またアンチが増えそうなので今回はこのへんで失礼致します。

Rollin’ & Tumblin’ / マディ・ウォーターズ

 弾き語りのブルースマンに夢中になる前は、ボーカリストが弾くリズム・ギターが好きだった。歌とギターが直結したスタイルには強靭な塊があって、ガッカ、ガッカ、ガッカ、ガッカと3連符を刻む音からは悦びも湧き上がってきていた。その中でマディ・ウォーターズのギターは特別だった。リフを刻みながら呼応するスライド・ギターがメロディックでいて、人影のない夏の終わりのような何かを感じさせた。それらは同じ世代に活躍したエルモア・ジェームスやハウリン・ウルフには見つけることのない。とても不思議な感覚でもあった。

 1915年、ミシシッピー州で生まれたマッキンリー・モーガンフィールドは、泥んこになって遊ぶのが大好きだったことから、マディ・ウォーターズ(泥水)とあだ名をつけられた。ギターを弾き始めた頃のアイドルは、チャーリー・パットンやサン・ハウスたち。デルタ・ブルースの中で育った。初レコーディングは1941年。民俗音楽の研究家であるアラン・ロマックスらが、ブルース音楽を記録してほしいという国会図書館からの依頼を受けて、レコード録音機を持ってミシシッピーに来ていた時のことだ。本当はロバート・ジョンソンを探しに来ていた民俗学者たちだったが、すでにジョンソンは殺されていた。それでも彼らはプランテーションで働く農夫たちからマディ・ウォーターズの噂を聞きつけるのだった。もちろんここでの演奏は、フィールド録音と呼ばれる「The Complete Plantation Recordings」で聴くことができる。この中にはマディのインタビューも録音されており、「サン・ハウスが好きで影響を受けた」など、とても貴重な証言も残されている。

 さて、この録音で自分の歌声を初めて聴いたマディ・ウォーターズは、自身の声の良さに驚き勇気づけられ、シカゴに移住する人々の中に加わっていく。しかし当時の都市ではナット・キング・コールのような洗練されたジャジーなものが人気であり、ブルースの分野でもビッグ・ビル・ブルーンジーやタンパ・レッドと言ったシティ・ブルースが活躍していた時代であった。大都市で夢見た音楽活動のスタートは、「お前のような古いブルースは、シカゴでは誰も聴かない」とまで言われてしまうものであったのだ。

 しかし1947年、マディ・ウォーターズはチェス兄弟と出会う。彼らは後のチェス・レコードとなる会社を持っていた人物たちだ。翌年、マディは「何もかも上手くいかないぜ」と「I Can’t Be Satisfied」を吹き込みヒットさせた。マディの歌とスライド・ギターに、叩くようなベースの音だけを加えたもので、都市で流行中のモダンなサウンドではなかったのだが、その素朴さが逆に郷愁を誘い、故郷を捨ててきた黒人たちに受けとめられていったのだ。さらにマディは、酒場の喧騒に対抗するためにギターをアンプに差し込み音量を上げていく。やがてバンドを従えてチェス・レコードで開花していくのであるが、この辺の様子はチェスを題材とした映画「キャデラック・レコード」でも味わうことができるから見てほしい。

 さてさて、マディ・ウォーターズがカントリー・ブルースから決別し、50年代のエレクトリックなシカゴ・ブルースを確立していくのに必要だった曲が「Rollin’ & Tumblin’」だ。もともとマディはこの曲をバンドで演奏したいと思っていた。しかしチェス側はそれまでの成功もあり、少人数での演奏を求めてきた。その不満を持っていたマディに目をつけたのが他のレコード会社で、チェス・レコードとの契約の裏をかき、マディをギターに専念させ、他のバンド・メンバーたちに歌わせたものを発売したのだ。それがこちらのベビーフェイス・ルロイ・トリオの「Rollin’ & Tumblin’」だ。

 古くから伝わるこの曲は、ブルース特有の12小節進行よりもさらにシンプルな構造で、ワンコードを転がしていく感覚で成り立てっている。それゆえにマディのスライド・ギターが欠かせないものとなっていて、繰り返されるリフレインがとてもセクシャルだ。それに絡むブルース・ハープはリトル・ウォルターが負けじと吹きまくっている。残念ながら歌の方は男たちの騒めきが強すぎて傑作とまでは言い難いが、それでもシカゴ・ブルースの始まりは、この熱量から動かされていったのだ。

 マディの引き抜き事件後、チェス・レコードはバンド・メンバーを増やすことを認めた。それ以降の活躍は、「Rollin’ Stone」「Long Distance Call」「I’m Your Hoochie Coochie Man」「I Just Want To Make Love To You」「Mannish Boy」など、他にも多くのヒット曲が続き、物語りを綴ってくれている。しかしながら、エレクトリック・シカゴ・ブルースの扉をこじ開けたのは「Rollin’ & Tumblin’」であり、マディ・ウォーターズのスライド・ギターなのである。