選抜高校野球の代替試合が各地で繰り広げられていた。雨の影響で中止になってしまった地域もあったようだが、岩手では無事に全日程を終えることができた。決勝では一関学院が盛岡大付を下して優勝。一関学院が最後に夏の大会を制したのが2010年。以降は花巻東と盛岡大付が夏の頂点を占めていた。そのひとつを破っての優勝はとても価値のあるものだったと思う。優勝を決めた後、選手たちからは「甲子園に出たかったなあ」と思わず声が漏れたそうだが、どんなスポーツの大会でも悔いを残さずに終わることができる選手は稀だ。ほとんどの選手たちが「あの時なあ」と思い出すものだろう。甲子園という憧れだけを思い続けるのではなく、努力してきた道のりを大切にして良い未来を築いて欲しい。
いい大人になっても自分を信じるって容易いことではない。特にピンチの時はまたダメかもと頭をよぎってしまう。多くのスポーツを観戦したくなるのは、勇者のように戦う選手たちの力を分けて貰えるような気がするからだろうか。ここで決めてくれと願うファン達の熱い視線の先には、これからの未来に良いことが起きるようにと願いを込めているようにも見える。自分の力を信じてピンチを乗り越えてきたことも無いわけでもないが、すべてを自分の力だけで乗り越えてきたはずもない。どちらかというと、技術と知識が伴わずにいて自分を信じきれなかった方が多かった。さらにコロナ騒動のような情況となれば、神さま仏さまと目に見えない何かにお願いしてしまうのが定番だ。
さて、ライトニン・ホプキンスが歌う「Needed Time」は、昔から伝わるゴスペルをアレンジして作られた歌だそうだ。まさに神さまにお願いしている内容だが、カントリー・フォークというのか童謡的に演奏されていてなかなか呑気だ。この人の格好良さはギャグと狂気が入り混じっていて、ブルース的な哀切ばかりでなくコント的な安らぎも感じてしまう。どうやら彼のライブパフォーマンスも即興で生み出し歌う歌詞が多かったため、客席が笑いに包まれたりたり重たい空気になったりと、その時々の仕上がりは様々だったらしい。
普通の人では予想もつかない放浪生活、刑務所暮らし、戦争と、彼ならではの体験が生み出すフレーズには、絶望しそうな情況さえも「シリアスになり過ぎるな」と笑い飛ばしてくれる力がある。どん底から這い上がるには何が必要だったのだろうか。夜更けに聴いていると想像したくもなるが、それでもここは呑気にいくべきだ。彼が向こう側から見てくれているとしたら「どうにかなるさ」「ウヒャハハー」と笑い飛ばすに決まっているのだから。