月: 2021年1月

Down In The Bottom / ハウリン ・ウルフ

 心理学用語に「ファイト・オア・フライト」というものがあって、動物はストレスや苦悩に直面すると、その問題に”挑戦”するか、”逃げる”という行動をとると言われている。さらに最近ではその前後に“凍結“と“放棄“も加えられて説明されている。想定などしていない状況では、”凍結(フリーズ)”してしまうし、戦うことも逃げることもできなければ、”放棄(フォーフィット)”してしまうのだということだった。

 なるほど上手く説明するものだと理解もしたが、どうしても気になってくるのは今回のコロナ感染のようなケースだ。経験した人は殆どいない状況で、どうやって幸福感を得ていけば良いものなのかと悩みもする。まして今の自分を俯瞰してみれば、”凍結”し閉じ込められている状況で、ただ春が来ないかと願っているだけのようだ。なんだか落ち込みそうにもなってもくるが、それでも昔のブルースマンたちもそうだったに違いないと慰めておきたい。逃げ足の早い奴らが多かったというイメージが浮かぶものの、「どうにもならん」と”放棄”し、酒を呑んでいた輩もたくさんいたはずなのだ。しかもそれでいて、けっこうな幸せも感じ取れていたようにも思えてくる。ロッキン・チェアに居座ってブルースを歌い、酒を浴びることも、時には必要になってくるものなのだ。

 さて、今回のブルースマンはハウリン・ウルフ。歴代の中でもイチバン強そうなルックスと名前を持っている。なにせ「吠えるオオカミ」だ。弱いはずがない。声もダミ声で、弱音を吐いたとしても相手にはケンカ腰に届いていたことだろう。ただそんな彼だが、1962年の2ndアルバム「ハウリン・ウルフ」に収録された「Down In The Bottom」では、命からがら”逃走”する歌を歌っている。「ふもとで会おうぜ、俺の靴を持って来てくれ」と始まり「彼女のひどい親に殺されるには若すぎるんだ」と叫んでいるのだ。

 1910年にミシシッピ州で生まれたウルフは、チャーリー・パットンにギターの手ほどきを受け、サニー・ボーイ・ウィリアムソンからハーモニカを学んだというから、音楽を学ぶには恵まれていた環境のようだ。それでも抑圧された南部での生活では不平等に扱われたという憤りを抱えていた農夫のひとりであり、40歳でミュージシャンになるまでの楽しみは、仲間内で分かり合える音楽だけのようだった。ブルースが生まれた理由をここで深読みするならば「Down In The Bottom」は、駆け落ちするような悲恋の歌ではなくて、ひどい状況からの脱出の思いが込められていたとも言える。さらに1951年のデビュー・シングル「HOW MANY MORE YEARS」と「真夜中のモーニン」のカップリングでは「どれだけオマエにつきまとわれてきただろう」そして「誰かがドアをノックしている」と歌っている。女とのトラブルを嘆いているようでもあるが、何かに怯えているようでもあり、深い闇に付き纏われているようでもある。

 後にシカゴ・ブルースの重要人物となっていくウルフだが、同じく重鎮であるマディ・ウォーターズに比べると、白人の前にはなかなか姿を現すことがなかったようだ。彼にとってのブルースとは、仲間内だけこそが理解してくれるものであり、ゲットー・バーと呼ばれる貧困層に属するアフリカ系アメリカ人が集う場所で歌うものだったらしい。薄汚れたバーで、酒と煙草が染み付いたブルースを歌い続けようとしたハウリン・ウルフは、心臓発作を起こしても医師の指示に逆らい、死の直前まで歌い続けたという。いったい最後はどんな闇に向かって吠えたのだろう。

 ところで、オオカミの遠吠えには3つの理由があるらしい。1つめは他の個体に自分の縄張りを知らせ、近づかないようにさせるため。2つめは群れからはぐれた時に仲間を見つけるため。3つめは、仲間との絆を維持するという目的だ。これを知った時、オオカミに備わっている優しさに気がつき驚いた。そして偶然だとしても、ハウリン・ウルフの咆哮のブルースにも、同じ役割が含まれていたように思えてきてならないでいるのだ。

Death Don’t Have No Mercy / レヴ・ゲイリー・デイヴィス

 地方の小さな町に店を開いて20数年が経つが、同じ商店街の方々が続けてお亡くなりになる経験をしたのは初めてのことだった。ずいぶんと寂しくなってきた商店街だが、これでまた店舗の数が減ってしまうことになる。駅前に百貨店があって賑わっていた頃が懐かしい。お亡くなりになられた方々は、昭和の時代から店を切り盛りされていた店主の方々が多く、皆さん最後まで店に立たれていた。それぞれの持病に悩まされていたらしいのだが、そんな素振りも見せてはいなかった。「あそこの店に行くのが楽しみだった」そんな言葉もたくさん届いているし、自分もそのひとりだった。こんなことになるのならば、もっとありがとうを伝えておけばよかった。こういう時はいつも心に残ってしまうが、自分にできることは多くはない。どうぞ安らかにと祈らせて頂くことぐらいだ。

 さて、あたりまえと後悔はいつも背中合わせなものだが、ゲイリー・デイヴィスは「Death Don’t Have No Mercy」でそれを見事に表現している。牧師でもあった彼だけに、「死は誰にもやってくるものだから、後悔のないように生きなさい」と説法をしているのだ。さらに残されていた映像を見てみると、誰かが亡くなったことを悲しく思っている気持ちも表していたことに気がついた。きっと色々な解釈があっていいのだろう。ブルースの正解もひとつじゃないのだ。矛盾さえも赦してくれている存在、現象を超えて在るもの。ゲイリー・ディビスの声にはそんな”何か”が含まれていると思う。

Death Don't Have No Mercy
Rev.Gary Davis

死神はこの世で情け容赦などしない
死神はこの世で情け容赦などしない
奴はあんたの家にも訪れ、そしてさっさといなくなる
ベッドに目を向ければ、きっと誰かがいなくなっている筈さ
死神はこの世で情け容赦などしない

そうさ、死神はこの世の全ての家族のもとに行く
そうさ、死神はこの世の全ての家族のもとに行く
そうさ、奴はあんたの家にも訪れ、そしてさっさといなくなる
そうさ、ベッドに目を向ければ、あんたの家族の一人がいなくなっているだろう
死神はこの世の全ての家族のもとに行く

そうさ、死神はこの世では休暇はとらないからな
そうさ、死神はこの世では休暇はとらないからな
そうさ、奴はあんたの家にも訪れ、そしてさっさといなくなる
そうさ、ベッドに目を向ければ、最愛の母親がいなくなっているだろう
死神はこの世では休暇はとらないからな

 5歳の頃からハーモニカを吹きはじめ、続いてバンジョーとギターを手にしたゲイリー・デイヴィスは、7歳の時にはもうギターを弾く仕事につき、14歳の時にはストリング・バンドを結成して各地を演奏してまわっていた。まさに天才肌だったとしか言いようがない。ところがその時期に彼は失明をし、その事件をきっかけに信仰に傾いていくこととなる。1933年にノースカロライナ州のワシントンで牧師に任命された彼は、1935年にブラインド・ボーイ・フラーと最初の吹き込みもしているが、ブルースの曲は少なく、もっぱら宗教的なものだったらしい。その後は「聖なるブルース」とも呼ばれていくのだが、内容的には純然たるゴスペル・ソングだけを歌いとおした人生のようだ。

 失明という事件は、昨日までの”ふつう”が、今日になって”特別”なものだったと知るには十分すぎるものだったことだろう。学校や仕事、人間関係、病気と、誰の人生にも四苦八苦はつきまとうが、それらには押し潰れそうな痛みを取り払うチャンスは残っている。光を見ることができなくなったゲイリー・デイヴィスは、いったい何を見ようとしたのだろう。そして何を伝えようとしたのだろう。想像を張り巡らしてはみているが、けっきょく答えなどは出やしない。

 ただ最後にエピソードをひとつ紹介したいと思う。自分の店では幅広い年代のお客さまがいらっしゃるので、BGMは聴きやすいボサノバやポップスなどを選んで流している。ただし数曲だけはブルースを仕込んでいて、それが流れた出した時には、こっそりとほくそ笑んでいたりもするのだ。今日はショートカットの女性を接客中に、偶然にも「Death Don’t Have No Mercy」流れ出した。するとその女性は「この曲カッコイイね、ブルースっていうの?」「うねり?みたいなのが素敵ね」と言ってくれた。盲目のシンガーで牧師さんなんだよと伝えた後で、死神の歌だってことは黙っておいた。歌詞も大事だろうが、静かに流れてきた音だけで癒されてくれたのだ。なんだか「それでいい」と、ゲイリー・デイヴィスも言ってくれたような気がした。今度また彼女が来た時には、別の曲も聴かせてみたいと企んでいる。

You Gotta Move / ミシシッピ・フレッド・マクダウェル

 もっさりと雪が積もった正月ともなると、窓から見える冬景色を羨むしかないが、正月だとしてもブルース三昧は変わらずにいるのだからと慰めてブログを書いています。遅れましたが「新年おめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします」

 さて、今年の始まりに取り上げたブルース・マンはミシシッピ・フレッド・マクダウェル。曲の方は「You Gotta Move」で、ローリング・ストーンズがカバーしたことで有名なやつです。それにしてもブルースの旅を続けていると、ストーンズとクラプトンが掘り起こした鉱山とも言える場所に辿り着いてしまう。そこには他にも無数の足跡が散らばっているようで、日本人では憂歌団と有山じゅんじさんって感じだ。きっと偉大なる日本の先人たちもそこで同じことを思ったに違いないはずである。

 ところで、ここの動画配信を含めたブログは、バンドでギターを弾くのとは別のフィンガー・スタイルに挑戦してみたものだった。バンド友達から届いた浪速ブルースの名盤「ぼちぼちいこか」(1975年)を聴いてから、有山さんのブンチャ、ブンチャというリズムを真似していたことも決定的になった。それゆえ去年はラグタイム系の人たちを多く取り上げた。ま、そこは今年ももちろんなのだが、それに加えてスライド・ギターの頻度も上げていこうと思っている。前々回でタンパ・レッドを取り上げた際に、スライドならではのメロディーと、その隙間に入るリズム打ちの気持ちよさに気がつくという発見があったからだ。それで今回の「You Gotta Move」なのだが、マクダウェルのスライド・ギターも、親指とのコール&レスポンスがたまらなくカッコイイ。おまけに歌詞もいいのだ。

You Gotta Move
Fred McDowell/Rev.Gary Davis

You gotta move
You gotta move
You gotta move, child
You gotta move
But, when the Lord gets ready
You gotta move

そうか、いっちまうのか
ついに、いっちまうんだな
そんなときがくるとはな
おまえがいっちまうなんて
だけどよ 神が準備を整えた時には 
行かなきゃならないんだ

You may be high
You may be low
You may be rich, child
You may be poor
But, when the Lord gets ready
You gotta move

調子がいい時もあるよな
だめな時はだめだけど
羽振りがいい時もあるかもしれないし
からっけつの時もあるだろうさ
だけどよ 神が準備を整えた時には 
行くしかないのさ

「Move」の意味をどう取るかは色々だろうけれど、「去る」や「逝く」と取るのではなく、あくまでも次へ行く、「次の時代へ行く」と取るならば、新年に相応しいブルースなのではと思えてくる。

 さて、1904年にテネシー州で生まれたフレッド・マクダウェルは、その後ミシシッピー州に移り、様々な肉体労働に従事しつつもフォークやブルースを歌い続けていた。若い頃にレコーディングをしたことはなかったが、1960年代初頭のブルース・リバイバルの時代に見出され、55歳でデビューを果たした。先に述べたようにストーンズはもちろん、ボニー・レイットにいたってはスライド・ギターを教えてもらったとコメントを残しているし、若手のブルース・ウーマンのサマンサ・フィッシュも「Shake ‘Em On Down」をマクダウェル張りのスライドで引き継いでいる。さらにはこの曲を何度も吹き込んでいたヒル・カントリー・ブルースのR.L.バーンサイドは、ジョン・スペンサー・ブルース・エクスプロージョンと共演している。ブルース衝動をぶつけたような音楽性が、後のガレージロックやパンクロックにまで受け継がれいったとするならば、マクダウエルの功績は非常に大きいものだったと言えるだろう。

 しかしながら、当時の白人の大人たちの間では、ブルースは悪魔の音楽だからと信じ込まれていた節がある。無条件で多くの人たちに受け入れられて来たわけではなさそうだ。とりわけ不協和音だろうがお構いなしでギターをかき鳴らし、ワン・コードで曲を押し進めるマクダウェルのスタイルは強力すぎて、ブードゥー教のような信仰で行う呪術のようでもある。催眠術のような彼のビートが悪魔の音楽だと信じ込まれたとしても不思議ではない。自分の子供がブルースに夢中になっていたとしたら、厳格な家庭ならずともレコードを処分したこともあっただろう。ところがそんな心配を他所に、マクダウェルはブルースだけでなくゴスペルも多く歌っている。ブルースだけでは金にならないと、ゴスペルも歌う作戦に出たのかもしれないが、じつは信仰深い人間だったと思わせてくれる素晴らしい作品も残しているのである。

 1966年に発表されたアルバム「Fred McDowell – Amazing Grace」は、ザ・ハンターズ・チャペル・シンガーズというコーラス隊をバックに、アコースティック・ギターを弾き語るスタイルで、派手に聴衆を煽るようなゴスペル・ソングではない。しかしながら、その素朴な歌声とギターには、神や大地に祈り、歌を捧げるという根源的な人間の欲求と悲哀が混じり合っている。俺はこれを聴く度に親戚のおばあちゃんの葬儀を思い出してしまう。あの時は近所の人たちが地元に伝わる唄で彼女を見送ったのだ。それがとても美しく優しかった。

 このアルバムのタイトルにも用いられた讃美歌「Amazing Grace」などもそうだが、「You Gotta Move」のコール&レスポンスも聴いてみて欲しい。呼びかける側と答える側には、見送る側と見送られる側の、寂しさと優しさが詰まっている。苦味を知っている料理人が作るスープのように、このアルバムを作った男はブルースを知っている男だったのだ。不味いはずがない。味わってみてください。