That’s All Right / ジミー・ロジャーズ

 アメリカのミネアポリスで、黒人男性が白人警官に暴行を受け死亡した事件があったが、コロナ危機の高まりもあってか、抗議行動が一部暴動になってしまった。いまだに奴隷制の負の歴史を克服できていない問題だけでなく、貧困層のなかには失業保険の受給要件を満たさずに、働く場所を失った人達がたくさんいた事も要因らしい。

 これがアメリカの背景だと言えばそれまでだが、ニュースが流れた時に真っ先に思ったのは、人間が持っている「狂気」についてだ。誰もが幸せを望んでいるにも関わらず、過去の歴史を振り返れば国や人種など関係なく争いごとを繰り返してきた。

 キリスト教では「愛」が全て。仏教には「貪り」「怒り」を手放していく事が幸せへの道だという教えがあるが、狂気に繋がる心の汚れとエゴを手放し、愛を得ることは難しい。

 さて、今回取り上げたジミー・ロジャーズだが、この人も暴動と深い関係のある人物だった。だがその話をする前に、よく知らない人も多いのではと少しだけ彼を紹介したい。彼は1940年代から50年代にかけてマディ・ウォーターズの革新的なエレクトリック・ブルースサウンドに欠かすことができなかった人物のひとりだ。他にはリトル・ウォルター、オーティス・スパンらがいて、共にチェス・レーベルの黄金期を担った。さらにジミーはソロ名義でレコードも発売。「ウォーキング・バイ・マイセルフ」「ザッツ・オール・ライト」「ゴーイン・アウェイ・ベイビー」といった多くのヒット曲を残している。

 ところが50年代後半になると、ブルースも下火になり音楽での収入が充分でなかったため、60年代には引退し洋品店を開いている。しかし、68年にキング牧師が暗殺された時に起こった暴動で店が焼かれてしまったらしいのだ。 

 焼かれた店を見つめるジミーはどんな気持ちだったのだろうか。ここからは勝手な想像だが、彼の歌やギターサウンドのようにあっさりとしていたのではなかろうか。マディのように熱を込めて歌う人のバックで淡々とギターを弾いていた彼だからこそ、自分が持つ「エゴ」「貪り」「怒り」さえも、コントロールできていたように思えてくる。

 なによりも今回取り上げた「That’s All Right」だが、歌詞の内容が抜群だ。

「ずっと前に愛を誓い合ったよな」
「でももう俺を愛してないだろ」
「まあいいさ」
「いつも思ってる」
「今夜誰がお前を愛するんだろうって」
「まあいいさ」

 と、まだまだ未練たらたらながら、俺はこれから勝手に上手くやっていくぜという思いも感じてしまう。仕事を失い、金が無くなることも人生の行き詰まりのひとつだが、愛した女がいなくなるのはもっとも辛いはずだ。それでも最後に「まあいいさ」と強がるジミーは、革新的でありつつも、どこかで悟っていたのではと思えてしまう。

 さて、悟りには遠い俺だが、YouTube用のテスト撮影で面白い映像が撮れた。ヘッドフォンのシールドが引っかかり、iPhoneが動いてしまったのだ。いつもの俺ならば撮り直すところだったが、「まぁいいか」

 きっとこれが人生を豊かにしていくキーワードだと思い始めているのだから。