I loved another woman / ピーター・グリーン

 ツキイチの更新を目標にしてきた弾き語り動画とこちらのブログですが、ここ数ヶ月はまったく作れませんでした。ギターは相変わらず弾いているのですが、曲を覚えるのに時間がかかるようになってきていたからです。特に英語の歌詞が問題で、昨日は覚えてたはずの歌詞が今日になると跡形もなく飛んでしまっていることが多くなってきてしまっています。他にも肩凝りやら膝の痛みで、長い時間の演奏撮影は無理になってきました。やれやれ…こうして老人になっていくものかと、とてもがっかりしてしまっていたのでした。

 ところが、新しい仕事の繋がりでギター好きの方と仲良くしていただけるようになり、時折お家に招かれてはビンテージのギブソンからフェンダーまでを弾かせていただいたりしているうちに元気になってきました。その方のキッチンがまた素敵で、窓が淡いブルーの枠で縁取られていたりして、まさに古い映画に出てくる異国のキッチンって感じ。好きなアーティストから家族の写真も綺麗に額に入れて飾ってあったりで、イチイチお洒落なのにもヤラレテマス!さらにはD-28もZO-3も適当に置かれているので、食事の最中でもいつでも手に取れる状態。今はひとりで住まわれているようなのですが、その暮らしを存分に楽しんでいるみたいです。自営業の僕としては定年はないので、あと数年したら仕事のペースを落として、もっと料理と演奏を楽しめる時間を増やせたらいいなと思い始めてきました。仲良くなれた先輩のキッチンのように、手作りで改装して自分なりに思い出を重ねていけたらと思っています。

 さて、今回取り上げたフリートウッド・マックの「I loved another woman」ですが、作者はピーター・グリーンで、彼らのデビュー・アルバムに収められている名曲です。フリートウッド・マックは50年以上のキャリアをもち、メンバーも入れ替わることで別のバンドへと変化していくこととなるのですが、それぞれの年代で愛されたバンドでした。それでも僕が好きなのはピーター・グリーンが在籍した初期の時代です。わずか3年間という短い期間でしたが、その間に彼は「マン・オブ・ザ・ワールド」「Oh Well」「ブラック・マジック・ウーマン」などの名曲を数多く作り上げたのです。

 特にマイナー調のブルースをフォーマットにした曲には、なんとも言えない切なさと優しさを感じてしまいます。残念なことにピーターはドラッグ中毒の問題を抱えていたために、幸せな人生だったのかと問えば疑問が残ってしまうのですが、そんな不安を抱えながらも73才まで生き延びたという事実から、そんなに悪くない人生だったように思えてきます。それを象徴するエピーソードのひとつが、1965年にロンドンのセルマー・ミュージックで59年製レスポール・スタンダード“’Burst”に出会い、114ポンドで購入したことから始まった物語です。後にそのギターは、ゲイリー・ムーアへ。そしてメタリカのカーク・ハメットに渡っていきます。その模様はYouTubeでミニドキュメンタリーとして、今も確認することができます。

 ブルースが受け継がれていくもののように、愛したギターまでも引き継がれていったピーター。やはり最後の時を迎えた夜にも幸せを感じていたように思えてくるのです。

Hard Times / レイ・チャールズ

 新しいギターを手に入れました。初めてのフルアコです。本格的にジャズギターを習い始めて、どうしてもアコギだけでは演奏が厳しくなってきていたからです。アーチトップと呼ばれるこのタイプのギターは、中身が空洞でできているためにサウンドが暖かく、多くのジャズやブルースのレジェンド達に愛されてきた楽器でもありました。

 ただ…エレキギターを手にすることに対しては不安もありました。エレキギターを持つと、どうしてもギターの音を追求したくなってしまうからでした。ま、追求というとカッコよく響きますが、つまりは腕を磨くよりも機材に夢中になってしまい、エフェクターやアンプを取り替えてみたり、結局最後にはギターまでも取り換えてしまうという感じで、その深〜い沼にハマった経験があったからです。

 その点、なぜかアコギは別のギターが欲しいとかにならずに済んでいました。電気を通す、通さないでこれだけ違うのは不思議でしたが、より原始的で直接的なアコギだと、ここまでですよといった”諦め”のようなものが初めから用意されていたからなのかもしれません。

 さて、そんなフルアコを使って初めて弾いてみた曲はレイ・チャールズの「ハード・タイムズ」です。1961年にリリースしたコンピレーションアルバム「ブルースを歌う」(The Genius Sings the Blues)に収録されたバラードナンバーなのですが、とてもブルージーで大好きです。この曲のコード進行は、一般的な3コードのブルース進行とは違い、コードの数も多くて複雑になっていますが、フレディ・キングが歌った「Same Old Blues」や、日本では聖子ちゃんが歌った「スウィート・メモリーズ」の歌い出し部分なども、この進行で歌うことができるので、王道のバラード進行と言えるでしょう。とにかく古くならない懐かしさがいいですよね。夏を迎える今の季節にはぴったりだと勝手に思っています。

 そして歌詞の方はというと、けしてロマンチックなものではなく、「神様、俺の苦しみを理解してくれる奴はいるのかい?」といったように、様々な苦しみの出来事から解放して欲しいと、ヤケクソ的な感じです。

母は亡くなる前に言った、祈る事を忘れるなと
その意味はすぐにわかった
愛する女も、俺が貧しくなると、俺を捨てた
いつか悲しみのない日が来るのさ

そう、死んでしまえば、このつらさともオサラバできるだろうな
神よ、俺より人生のつらさを知っている者はいるのかい?

 レイ・チャールズも、幼少期に失明を負いながら生きなくてはならない状況もありましたし、当時の黒色人種の置かれた立場では、辛く哀しいことでも、楽しいリズムやロマンチックなサウンドに乗せて、やり切っていく必要があったのかもしれません。いつしかブルースは”泣かないでいるための音楽”とも言われるようになりました”。諦め”の中にも自由を見出した力強い音楽なのだと思います。

 さてさて、とにかくこの辺りの深い状況は、日本に生きている僕たちには想像もつきにくいものですので、2004年に公開されたレイ・チャールズの伝記映画「レイ」を見て欲しいと思います。レイ・チャールズ本人が主演のジェイミー・フォックスに演技指導もし、映画に深く関わって作成された作品のようですよ。

2023年のクラプトンを観てきました

 クラプトンがブルースブレイカーズの頃、そのライブを観たファンによってロンドンの街の壁に落書きされたのは「CLAPTON IS GOD」の文字でした。そしてあれから50年近くも経過した今も、そのストーリーは続いていました。僕が観てきた2023年版のクラプトンも神の領域だったからです。既に78歳となっていたクラプトンですが、まったく衰えなど感じさせない本当に素晴らしいコンサートでした。

 当日の武道館コンサートの僕の座席は、1階の南東側。クラプトンに向かって、ほぼ中央右側という絶好のロケーションでした。来日コンサートの2日目ということで、初日のセット・リストを参考にしつつ、そのどれもが聴きたい曲ということでワクワクして開演を待っていました。開演前のSEは古いR&Bやソウルが流れていて、それがまた気持ちを高ぶらせてくれています。そして突然、会場の照明が落ちてバンドのメンバーとクラプトンが静かに現れました。初めて見るクラプトンは身長も高くスタイルが良かったのが印象的です。

 最初の曲は「Blue Rainbow」という未発表の曲でした。哀愁を感じてしまうマイナーコード上での旋律に、僕の頬には涙が流れました。盟友であったジェフ・ベックに捧げた曲に思えてならなかったからです。彼の弾くストラトキャスターの音色は素晴らしく、その鎮魂歌が武道館を包み込みます。ふと、隣のオトーサンを見ると、彼もまた泣いていました。「そうだよな」僕は思わずそう頷き呟きました。他にもこの日のセット・リストには、10年前に亡くなったJ.J.ケイルの「Call Me The Breeze」や、長年ツアー・スタッフとして貢献し、2021年に亡くなったケリー・ルイスに捧げられた曲「Kerry」など、亡くなった友人たちへの想いがジンワリと伝わってきます。

 とにかく僕の予想をはるかに上回るパフォーマンスに、耳も心もを奪われてしまいました。あっという間の1時間45分だったのです。そして特筆すべきはクラプトンのエレキ・ギターでした。正直、コンサートを観る前までは、アコースティック・セットの方を期待していました。もちろん、マーティン000-28を抱えた演奏も素晴らしく、たったひとりで演奏したロバート・ジョンソンの「Kind Hearted Woman」からは、その弦の震えもクラプトンの鼓動も聴こえてくるような感動を覚えました。それでも、オリンピック・ホワイトのストラトを抱え演奏した曲たちからは、この世で生きていくしかない、そんな”しがない”現実からも、解放され突き抜けることはできるんだよと、後押しをしてもらえるものでした。ギターの音色、音圧、フレーズ、そのどれもが最高に素晴らしいものだったのです。

 さてさて、それでは最後にもう1度言わせてください。

壁の落書き「CLAPTON IS GOD」は真実だったということを。