2023年のクラプトンを観てきました

 クラプトンがブルースブレイカーズの頃、そのライブを観たファンによってロンドンの街の壁に落書きされたのは「CLAPTON IS GOD」の文字でした。そしてあれから50年近くも経過した今も、そのストーリーは続いていました。僕が観てきた2023年版のクラプトンも神の領域だったからです。既に78歳となっていたクラプトンですが、まったく衰えなど感じさせない本当に素晴らしいコンサートでした。

 当日の武道館コンサートの僕の座席は、1階の南東側。クラプトンに向かって、ほぼ中央右側という絶好のロケーションでした。来日コンサートの2日目ということで、初日のセット・リストを参考にしつつ、そのどれもが聴きたい曲ということでワクワクして開演を待っていました。開演前のSEは古いR&Bやソウルが流れていて、それがまた気持ちを高ぶらせてくれています。そして突然、会場の照明が落ちてバンドのメンバーとクラプトンが静かに現れました。初めて見るクラプトンは身長も高くスタイルが良かったのが印象的です。

 最初の曲は「Blue Rainbow」という未発表の曲でした。哀愁を感じてしまうマイナーコード上での旋律に、僕の頬には涙が流れました。盟友であったジェフ・ベックに捧げた曲に思えてならなかったからです。彼の弾くストラトキャスターの音色は素晴らしく、その鎮魂歌が武道館を包み込みます。ふと、隣のオトーサンを見ると、彼もまた泣いていました。「そうだよな」僕は思わずそう頷き呟きました。他にもこの日のセット・リストには、10年前に亡くなったJ.J.ケイルの「Call Me The Breeze」や、長年ツアー・スタッフとして貢献し、2021年に亡くなったケリー・ルイスに捧げられた曲「Kerry」など、亡くなった友人たちへの想いがジンワリと伝わってきます。

 とにかく僕の予想をはるかに上回るパフォーマンスに、耳も心もを奪われてしまいました。あっという間の1時間45分だったのです。そして特筆すべきはクラプトンのエレキ・ギターでした。正直、コンサートを観る前までは、アコースティック・セットの方を期待していました。もちろん、マーティン000-28を抱えた演奏も素晴らしく、たったひとりで演奏したロバート・ジョンソンの「Kind Hearted Woman」からは、その弦の震えもクラプトンの鼓動も聴こえてくるような感動を覚えました。それでも、オリンピック・ホワイトのストラトを抱え演奏した曲たちからは、この世で生きていくしかない、そんな”しがない”現実からも、解放され突き抜けることはできるんだよと、後押しをしてもらえるものでした。ギターの音色、音圧、フレーズ、そのどれもが最高に素晴らしいものだったのです。

 さてさて、それでは最後にもう1度言わせてください。

壁の落書き「CLAPTON IS GOD」は真実だったということを。

ディランの話をしようと思っていたのだけど、WBCを見て思ったことを書いてしまいましたwwww

 WBCでの侍ジャパンの活躍に衝撃を受けてしまい、大会が終わった後の一週間というものは、完全に侍ロスになってしまいました。ま、僕に限らず、同じような状態になってしまった人は多いのではないでしょうか。スポーツは筋書きの無いドラマと言われていますが、神様が描いたとしか言いようのない結末には誰もが驚いたはずです。 

 そして勝敗だけにとらわれず、日本人メジャーリーガーの存在には日本中を元気にするチカラが宿っていました。ダルビッシュ選手にしろ、大谷選手にしろ、長年MLBで培われたノウハウを惜しまずに国内選手に伝える姿には、映像を見ているだけなのに嬉しさが込み上げてきました。以前のスポーツ界ならば、次の世代に追い抜かれることを心配して、アドバイスを送ることも少なかったり、ライバルは蹴落としても勝つのだという風潮があったかと思いますが、そんなことを超越して競い合い認め合う様子に感動させられていたのかもしれません。勝利優先を植え付けられて育ってきた昭和生まれの僕にとっては、楽しく真剣に試合に挑んでいく選手たちの姿はとても印象に残りました。

 小学、中学と、自分も野球部に所属していましたが、楽しんで野球ができた経験は少なかったように思います。そんな経験があったことで、スポーツよりも音楽に惹かれるようになっていきました。見よう見まねで始めたギターという楽器も、自分なりの成長を楽しめるものでいてくれたし、何よりも好きなアーティストの音楽を聴いて”その気”になってマネをすることは喜びでもありました。そこには誰かに負けたら自分が消えてしまうといった悲壮感がなかったからです。

 ところで最近になって思うことは、競い合うスポーツの世界でもアーティスティックな選手が増えてきていること。そして一流と呼ばれる選手になればなる程に、優しさも持ち合わせていることです。自分にチカラが付いてくれば、横柄な態度も取りがちだと思うのですが、そういう一面もほとんど見たことがありません。やはり楽しんでいるからこそなのかもしれませんね。バットをこう振ればホームランを打てるよとか、スライダーはこうやって握って投げれば曲がるよと、シンプルにそう伝えたいだけなのかもしれません。こんな感じの選手なら、引退したとしても幸せな野球人生を送れそうです。

 さて、今回は来日が決まったボブ・ディランの曲を取り上げてそれについて書こうと思っていたのですが、関係のないWBCについて話してしまいました。どうにかこじつけてディランへの話題と繋げようとも思いましたが、どうにもできずに潔く諦めましたwwwww.

 それでもなんとか最後に付け加えると、ブルースのようなルーツ音楽を追求していくと、ディランをカバーしているたくさんのアーティストたちに出会うこととなりました。ディランの曲調はフォークソングやブルースのメロディーを基調にしたシンプルなものが多いのですが、その歌詞の方は、人間の深い部分の心理を歌ったものが多く、日本人だけでなく英語圏の人にとっても難解なものが多いようです。それでも歌い継がれているということは、人生の真理を歌っているということなのだと思います。人生のどこかで歌いたくなる歌。それがディランの曲なのかもしれません。僕が今回演奏してみた「Make You Feel My Love」も、アデルのものが有名です。恋人に向けられた歌詞だとは思いますが、家族や友人、大切な人に向けられた歌だとも言えるでしょう。こうしてみると、ディランが野球チームを作っていたとしても、慕われていたと思わずにはいられません。

SAN FRANCISCO BAY BLUES

 クラプトンの武道館チケットが当選した事もあって、「アンプラグド」のリハーサル映像が収録されているDVDを購入してみたりと、ライブへの予習には余念がありません。そして改めてこのアルバムは凄いなと感慨に耽っています。発売されたのは1992年ですから、既に30年の月日が流れているはずなのに、未だに自分を楽しませてくれている事実に驚いているって感じでしょうか。もっと言ってしまえば、若い時に聴いた時よりも、ジワーッといい感じに包まれているような気分です。ようやく僕も、ブルースの旨味を味わえる年齢になってきたということなのかもしれません。

 さて、このアルバムの中での最近のお気に入りは「SAN FRANCISCO BAY BLUES」です。オリジナルはワンマン・バンド・スタイルで’50-’60年代に活動したジェシー・フラーのフォークソングです。ここではクラプトンもフラーに敬意を払い、いつもならギター・ソロをキメる場面でも、カズーを使って演奏を楽しいものにしています。歌詞の内容は「大好きなあの娘が、僕を置き去りにしてサンフランシスコ湾から出て行ってしまった…」って感じの失恋ソングなのですが、ここまで楽しいサウンドで演奏されると、この歌の主人公には「大丈夫だから元気を出しなよ」と、駆け寄りたくもなってしまいます。

 とにかくこうした平和感ってイイですよね。失恋に限らず、悲しく辛い出来事に遭遇したとしても、日にちが経ってから思い返してみたり、その出来事を俯瞰して見れるようになった時には笑い話になっていることさえあります。結局は悲しい出来事を避けれないのが人生だとしても、いつかは笑って話せるようになりたいものです。そのためには呑んで歌って、今日を楽しむって大切だと感じています。

 さてさて、そんな気分を今回も動画にしてみました。見てくれたら嬉しいです。