トム・ウェイツと呑む酒

 また胃カメラを飲みこむハメになってしまった。数週間前から”みぞおち”に鈍い痛みがあり、ヤバイ予兆は感じていたものの、コーヒーだけを我慢して、酒までは止めていなかったせいなのかもしれない。検査当日は「久しぶりのカメラですね」と声をかけられた後で「最近のカメラは細くなりましたから、だいぶ飲み込みやすいですよ」と励ましてもいただいたのだが、やはり涙とヨダレと鼻水でグチャグチャになってしまい散々だった。ま、検査結果としては大ごとにならずに済んだようで、しばらく禁酒をして薬を飲んでいれば落ち着くでしょうとのことだったが、他人から呑むなと言われれば呑みたくなるのが心情である。自分で決めたこともままならないのに、いつまで我慢できるものなのだろうか。しかたなしにトム・ウェイツでも聴き、酒場のイメージだけでも楽しもうと彼の歌声とピアノに耳をすましているのだが、禁酒への効果はあまり期待できそうにない。

 ところで正直に白状すると、トム・ウェイツのことは最近までは何となく知っている程度だった。それでも彼のアルバムは20代の頃に1度だけ購入したことがある。当時発売されたばかりの「Big Time」だ。しかし残念なことに、あのエキゾチックなサウンドと”しゃがれた声”は、若かった僕には手に余るものだった。結局そのアルバムは棚の端っこに収められたままになっていた。だがあれから30年近くの時間が経ち、自分のローカルな美容室に似合うルーツ・ミュージックを探し始めていた僕は、トム・ウェイツのことを突然思い出したのだ。でももしかしたら、トムのことが大好きな友人からの「アサイラム・レコード時期の作品は楽曲も素晴らしいし、あの独特な声も大げさじゃないから聴きやすいよ」というアドバイスのことを思い出していたのかもしれない。

 さてさて、未だに初期に発表された3枚だけを繰り返し聴いているような僕がトム・ウェイツを語ると笑われそうだが、それでもこれらのアルバムは本当に素晴らしいという事だけは伝えておきたい。実際に店で流れている時も「これってトム・ウェイツ?」と、お客さんからの反応も上々だった。古くからそこにあるようなメロディを、アコースティックでジャズ的なアレンジにして歌いあげている。歌詞の方も16歳で高校を中退してピザ屋の店員として働いた頃の経験から、夜から朝方までうごめく人々の様子を描写しているものが多く、寂しい人生を送る同胞達に寄り添ってくれているのだ。

 だから2ndアルバムのタイトル曲になった「土曜日の夜」などを聴けば、あなたもトムの街の住人としてカウンターの片隅にでも座ることができると思う。そして久しぶりのタバコに火をつけ、お気に入りの飲み物を注文している自分までもを想像できるかもしれない。と、言うわけで、僕のように療養中の方もトム・ウェイツを聴きながら酒が呑めるようになれたらいいですね。快気祝いの一杯は”しみじみ”としちゃうはずだから。

王様と言うよりスーパースター / B.B.キング

 今年のプロ野球の話題はなんと言っても佐々木朗希投手だ。160Kを超えるストレートと、140K後半のフォークボールで完全試合をやってのけてしまった。地元の選手ということで高校生の頃から応援しているが、まさかこんなにも凄い活躍をしてくれるとは予想できていなかった。本当にありがとう。あの圧倒的なピッチングは、もはや芸術作品だ。それを示すかのように、完全試合を決めた後のチケットはソールドアウトで、その芸術的なピッチングに酔いしれたいファン達に注目されていた。誰もかれもが、この時代に抱え込んでしまった思いを解放してくれるヒーローを待ち望んでいたかのようだった。

 さて、その佐々木投手だが、甲子園出場をかけた岩手県大会の決勝では、登板を回避したということで大きな話題となってしまった。あの時は多くの賛否が飛び交い、勝手に重石を背負わされてしまったわけだが、この完全試合で一旦の区切りはつけられたのではないだろうか。まさにブルース(憂鬱)ってやつは、誰にだって落とされてしまうものだが、時間をかけて取り組むことで、それを払い退けられることを証明してくれたように思えてくる。

 さてさて、これからスーパースターへの階段を駆け登っていくであろうと期待してしまうのが佐々木投手であるならば、ブルース界のスーパースターであり続けたのはB.B.キングだ。彼の編み出したブルースの常套手段は数知れず、89年という生涯を終えるまで王様の椅子に座り続けたのである。「3 O’Clock Blues 」がヒットした1951年から、2015年に亡くなるまで、少なくともブルース界において、B.B.キング以上の存在感を示した者はいなかった。それまでのブルースの歌い手はR&B・チャートでヒット曲を出すことはあっても、ポップ・チャートにまで顔を出すことは少なかったのだが、B.B.が57年に発表した「Be Careful with a Fool」は、ゴスペル調のボーカルにホーン・セクションをバックに従えた新しいサウンドで、それまでの田舎くさいブルースを払拭し、アーバン・ブルースというスタイルを作り上げて、ポップ・チャートにまで名前を連ねてみせた。

 もちろん、ギター・プレイにおいても独自のスタイルを完成させていく。それまでのボトルネック奏者だけがなし得ていた咽び泣くようなスライド奏法の音を、チョーキングと素早いビブラートで表現し、誰よりもセクシーな音色で肉感的に迫ったのであった。このスタイルを完成した時期の演奏映像がこちらで、とてもセクシーだと感じてしまう。どこか懐かしく切ないサウンドは、古いとか新しいという議論を超えた不滅のスタンダードとなっている。どうやら68年の映像のようで、ライブ・アルバムの必聴盤とされる65年の「Live At The Legal」や67年の「Blues Is King」を彷彿させるものだと思う。

 この頃のB.B.は、ジミ・ヘンドリックスなども取り上げてスタンダードとなった「Rock Me Baby」や、グラミーショーを受賞した「Thrill Is Gone」を発表した時期とも重なり、ブルースをエンターテイメントにまで昇華させていた頃だ。ライブに詰めかけた人たちの様子は、ブルースを聴衆している人たちとは思えないほど高揚している。そして人種の隔たりもなく誰もが笑顔だ。どのジャンルのスーパースターたちも、まず記録や成績から語られるものだろうが、正真正銘のスーパースターの第一条件は、人々を笑顔にしてくれるということなのかもしれない。

 と言うことで、佐々木投手もガンバッテね!

Lady In The Balcony:Lockdown Sessions / エリック・クラプトン

 コロナによるパンデミックの影響を受けて良いことは少なかったが、エリック・クラプトンの「ロック・ダウン・セッションズ」を聴くことができたのは幸いだった。昨年、ロイヤル・アルバート・ホールでのコンサートが中止になってしまったクラプトンは、その代わりにイギリスのカントリー・ハウスにバンド仲間と集まり、小さなコンサートを開催した。参加者はバンド・メンバーと、クラプトンの妻のメリアだけ。彼女は唯一の観客としてバルコニーから拍手を贈っている。撮影クルーたちでさえも外に出されたのは、建物の構造上の影響から小さなノイズも拾ってしまうため、外に待機させた中継車から操作しなくてはいけなかったからだ。

 さて、演奏された楽曲は、ほとんどがアコースティックによるセットによるもので、大ヒットした「アンプラグド」を思い出させたが、焼き直しなどというノスタルジックなものではなかった。彼のキャリアにおける膨大なレパートリーの中から、自身の曲はもちろんのこと、敬愛するブルースまでも取り上げ楽しませてくれている。とにかくサウンドが心地良く、最近の通勤時にはこればかりを聴いている。

 このアルバム「レディ・イン・ザ・バルコニー:ロックダウン・セッションズ」に参加したメンバーは、ネイザン・イースト(Ba&Vo)、スティーヴ・ガッド(Dr)、クリス・スティントン(Key)らと、クラプトンとは馴染み深い人たちばかりだ。音を聴く前に映像だけを見ると、クラプトンだけではなく、スティーヴやクリスからも老けた印象を受けてしまうのだが、演奏が進むにつれて静かに佇む姿には、70歳を超えていくことは素敵で美しいことなのだと気づくことができた。

 いつもとは違ったアレンジが施された「Nobody Knows You When You’re Down and Out」からスタートし、クラプトンの歴史を辿るかのように演奏は続けられていく。個人的に感激したのは「River Of Tears」のアコースティック・バージョンを聴くことができたことだ。この曲は98年にリリースした「Pilgrim」に収録された曲で、その同じ年に小さな美容室をオープンさせた僕は、頻繁にこのアルバムをBGMとして店で流していた。あれからクラプトンが変わらず元気に演奏してくれているのがとても嬉しいし、自分もなんとかやっていけている。これ以上何を望もうか。

 ひとつの曲が終わる度に、メンバーに「良かった」「いい音だ」「ありがとう」などと声をかけていくクラプトンの笑顔は最高だった。良い時もダメな時もクリエイティブを続けてきた人間から放たれる優しさを受け止めることができた。彼自身もメンバーも、希望していた大勢のファンの前でのコンサートではなかったのだろうが、世界中の人たちが”ヤバイ”ニュースで動揺している中で、このアルバムはとても安らぎをもたらしてくれるものだと思っている。