Lady In The Balcony:Lockdown Sessions / エリック・クラプトン

 コロナによるパンデミックの影響を受けて良いことは少なかったが、エリック・クラプトンの「ロック・ダウン・セッションズ」を聴くことができたのは幸いだった。昨年、ロイヤル・アルバート・ホールでのコンサートが中止になってしまったクラプトンは、その代わりにイギリスのカントリー・ハウスにバンド仲間と集まり、小さなコンサートを開催した。参加者はバンド・メンバーと、クラプトンの妻のメリアだけ。彼女は唯一の観客としてバルコニーから拍手を贈っている。撮影クルーたちでさえも外に出されたのは、建物の構造上の影響から小さなノイズも拾ってしまうため、外に待機させた中継車から操作しなくてはいけなかったからだ。

 さて、演奏された楽曲は、ほとんどがアコースティックによるセットによるもので、大ヒットした「アンプラグド」を思い出させたが、焼き直しなどというノスタルジックなものではなかった。彼のキャリアにおける膨大なレパートリーの中から、自身の曲はもちろんのこと、敬愛するブルースまでも取り上げ楽しませてくれている。とにかくサウンドが心地良く、最近の通勤時にはこればかりを聴いている。

 このアルバム「レディ・イン・ザ・バルコニー:ロックダウン・セッションズ」に参加したメンバーは、ネイザン・イースト(Ba&Vo)、スティーヴ・ガッド(Dr)、クリス・スティントン(Key)らと、クラプトンとは馴染み深い人たちばかりだ。音を聴く前に映像だけを見ると、クラプトンだけではなく、スティーヴやクリスからも老けた印象を受けてしまうのだが、演奏が進むにつれて静かに佇む姿には、70歳を超えていくことは素敵で美しいことなのだと気づくことができた。

 いつもとは違ったアレンジが施された「Nobody Knows You When You’re Down and Out」からスタートし、クラプトンの歴史を辿るかのように演奏は続けられていく。個人的に感激したのは「River Of Tears」のアコースティック・バージョンを聴くことができたことだ。この曲は98年にリリースした「Pilgrim」に収録された曲で、その同じ年に小さな美容室をオープンさせた僕は、頻繁にこのアルバムをBGMとして店で流していた。あれからクラプトンが変わらず元気に演奏してくれているのがとても嬉しいし、自分もなんとかやっていけている。これ以上何を望もうか。

 ひとつの曲が終わる度に、メンバーに「良かった」「いい音だ」「ありがとう」などと声をかけていくクラプトンの笑顔は最高だった。良い時もダメな時もクリエイティブを続けてきた人間から放たれる優しさを受け止めることができた。彼自身もメンバーも、希望していた大勢のファンの前でのコンサートではなかったのだろうが、世界中の人たちが”ヤバイ”ニュースで動揺している中で、このアルバムはとても安らぎをもたらしてくれるものだと思っている。

Danny Boy / なかにし礼

「ダニーボーイ」は、アイルランドで歌い継がれてきた民謡に歌詞を付けたものです。今では様々な歌詞も存在していますが、アイルランドの独立運動のために闘いに行ってしまった息子を悲しむものがよく知られています。

 日本語でもいくつかの歌詞があります。中でもなかにし礼さんが手掛けた歌詞からは、戦争体験者としてのメッセージを受け取ることができます。

 ところが、今日もまたウクライナ情勢は激しさを増しています。

 富や利益だけを追求した人間の愚かな醜態が映し出されています。

 幸せな暮らしを、争いで勝ち取ろうと勘違いしているかのようです。

 たしかに、ぼくも、あれ程酷くはないにしても、調子にのっていました。もっと便利に、もっと贅沢に、もっと儲かるように、そんなことばかりに目を奪われていました。

 そうなのです、肝心な暮らしには手に余るものばかりに目を奪われていたのです。

 でも、要らぬ思いは降ろします。

 ただし、「NO」と伝える意志は持っていようと思っています。

 政治家じゃなくても、有名じゃなくても、「STOP THE WAR 」と伝えます。

 穏やかな暮らしの中にこそ、幸せはあると気がついているからです。

*ユニセフのウクライナ緊急募金サイトも紹介させてください。

 

Come On In My Kitchen / ロバート・ジョンソン

 休日の夕方、誰もいない台所で窓の外を眺めていた。昨年ほどの積雪量ではないが、相変わらず今年の冬も寒い。呑むには少し早い時間だが、こんな日は雪見酒だとお気に入りのお酒を温めた。その間にギターを手にして弾いてみる。いい感じのリバーブが部屋全体を包みこんできた。その音は自分の部屋で弾くのとは違っている。当たり前のように、すぐにお酒も利いてきてしまった。

 そういえばあのロバート・ジョンソンの歌に「Come On In My Kitchen」があったのを思い出した。「台所に入ってきなよ、もうすぐ外は雨になる」ってやつだ。あのスライド・ギターと共に繰り出されるフレーズには、彼がブルースに求めた全てのものが詰まっているようだ。不用意に真似したら自分の台所にも悪魔がやってくるかもしれない。恐る恐るだが出だしのフレーズをなぞってみる。なんとなく優しい気分にもなれた。それとわずかに寂しい気分も残った。とにかく彼を表現するのに使われている”デモニッシュ”とは遠い気分だった。空想がまた深まっていく。

 ロバート・ジョンソンの名前を知ったのは山川健一さんの小説かコラムだったと思う。我々世代によくあるエピソードのひとつ、ローリング・ストーンズからロバート・ジョンソンへの道を自分も辿ってしまったのだ。作家である山川さんは熱狂的なストーンズ・ファンであり、彼の文章からストーンズとジョンソンの名前をよく目にするようになっていた。それらを追いかけ読み漁るうちに、いつしかそのブルースマンを好きになってしまっていた。それでもジョンソンのアルバムを実際に購入できたのは、彼を知ってからずいぶん後の1990年のことだった。その年に発売された「The Complete Recordings」という2枚組のアルバムには、彼がレコーディングした29曲と、別テイクが合わせて収録されていた。今しがた、久しぶりにそのライナー・ノーツを眺めて見ていたのだが、ぎっしりと書かれている解説や、キース・リチャーズ、エリック・クラプトンをはじめとするインタビューなど、他にも貴重な証言が多いことには改めて驚いてしまう。

 さて解説によると、さまざまな憶測が飛んでいたジョンソンの死亡説は、ジューク・ジョイントの店主が、自分の妻を誘惑するジョンソンに嫉妬し、ウィスキーに毒を盛らせたとして決着がつけられている。それにしてもジョンソンの生涯は、他にも女たちとの”よこしまな情事”を盛り付けて語られている。実際にレコーディングされた29曲の歌詞にも猥雑なものも多い。しかし、ここだけを取り上げているだけでは彼のブルースは理解できないだろう。当時のミュージシャンたちがそうしたように、彼もまた街角やジューク・ジョイントのような酒場で歌いながら曲を作り上げていたからだ。客が踊りやすいようなリズムとか、歌詞にしてもその場の客が楽しめるように作られていたはずである。商業音楽として食べていくための要素が含まれていたことは容易に想像できてしまうのだ。

 しかしながら、本当の意味でジョンソンをブルースへと強く向かわせたのは、最初の結婚が無惨に消し去られてしまったことだった。死産という形で妻と子供を一緒に亡くしてしまった心の傷を癒してくれるものこそ、彼のリアルなブルースだった。そう言えばロバート・ジョンソンの歌を演奏すると、置き去りにされた気分になってしまう時がある。自分の元を去っていく女の情景を歌った「Love In Vain Blues」なんてまさにそうだ。他のブルースマンとは違う憂鬱がひっそりと残ってしまう。やれやれ…。気楽に休日のキッチン・ブルースを楽しもうと思っていたのだが、彼のブルースはそう簡単にはいかないらしい。いったいこの憂鬱はどうしたら取り除けるものだろう。