梅田からナンバまで / 有山じゅんじ

 YouTubeに弾き語り動画を投稿するようになって1年半が過ぎた。古いブルースを中心にして弾き語りしてきたわけだが、最近は新しい時代の曲も取り上げてみたりしてと、どの曲たちと過ごす時間の作業も楽しむ事ができていた。しかし、ここに来て面倒な事が起き始めた。YouTubeで弾き語りをする際に関わってくる著作権の事を詳しく知らなかったせいだ。特に著作権の切れていない新しい洋楽を扱う場合には注意が必要らしい。2度ほど著作権侵害の申し立てというお知らせが届いてしまった。ひとつは回避できたものの、もうひとつはこちらの異議申し立てが通らない様子である。YouTubeでは自作自演による弾き語りのような形態の場合は、古い新しいに関わらず、JASRAC(日本音楽著作権協会)が包括している曲の場合は著作権侵害には当たらないと認識していたのだが、どうにもややこしい。

 さて、これからどうしようかと悩んでいたが、邦楽を演奏しYoutubeに投稿していくことは、著作権の面でも保護されている曲が多いと知り、1975年に発売された上田正樹さんと有山じゅんじさんの名盤「ぼちぼちいこか」から「梅田からナンバまで」を取り上げてみた。他にもこのアルバムには「あこがれの北新地」や「可愛い女と呼ばれたい」など、今でもライブで盛り上がる曲が多く、とても大好きな1枚でもある。全ての歌詞もメロディーも抜群で、日常の些細なことを笑い飛ばしてくれているのだ。70年代の大阪の街から流れ出した曲たちは、今の大阪でももちろんのこと、他の街でも陽気に歌われている。それを眺めてみればブルースのウンチクを語らずにしても、彼らの愛したルーツ・ミュージックが音楽的にも優れていたことを明らかにしてくれているようだ。

 有山さんはインタビューで、ギターのお手本はブラインド・ブレイクやミシシッピ・ジョン・ハートだったと語っていたことがあった。情報の少ない時代にレコードから採譜していく作業にはどれだけの時間が必要だったのだろう。ある分野でスキルを磨いて一流として成功するには、1万時間もの練習が必要だという法則もあるが、それ以上に聴き込んでいたのかもしれない。ましてや独特の指使いを強いられるラグタイム・ギターとなれば、そのテクニックの解明にも相当な時間を費やしたはずだ。とにかく次の世代へと手渡されていくブルースを見事に手中に収めて日本語の歌を作ってくれたことに感謝である。本当に楽しませてくれてありがとうございます。そして勝手に歌わせてもらってますが、これらのDVDを見て研究させていただいている後輩ということでお許しください。

 *もしもこれからカバー曲をYouTubeに投稿しようと考えている人たちは、ジャズ・ドラマーの黒田さんが解説している動画を参考にしてみてください。わかり易くてオススメです。

Slipping Away / ローリング・ストーンズ

 2021年8月24日、ローリング・ストーンズのチャーリー・ワッツが80歳で死去した。またひとり、ロック界の名ドラマーが鬼籍に入った。次々に届いてくる惜しまれる声の中には驚いている人たちも多く、自分もまたそのひとりだった。今秋に予定していたストーンズの北米ツアーには参加できないという情報が流れていたものの、休養をとればまた復活してくれるものだと思い込んでいたからだ。なによりも、自分の生活の一部となっていたストーンズのメンバーが消えていく事などは思いもしていなかったし、CDやDVDを置いている棚を眺めれば、かなりの部分をストーンズが占拠している。新しいアルバムも製作中だったとも聞いていた。そこでもチャーリーは相変わらず平然とドラムを叩いていたはずだ。やはり切ない気持ちでいっぱいになってくる。

 チャーリー・ワッツの死後、多くの評論家や彼から影響を受けたアーティストたちが、チャーリーのプレイ・スタイルを語ってくれている。その中で特に注目したいのは、ローリング・ストーンズという世界最高峰のロック・バンドを支えるエンジンであり続けたということだった。シンプルなドラム演奏ながら、キース・リチャーズのギターと共に、バンドのリズムの軸を作り上げた偉業はまさに特別なものだった。チャーリーの残されたコメントには「気ままなジプシーのように方向転換していくキースのプレイだが、それに息を合わせていくことはとても楽しい」など、キースとのコンビネーションを語ったものが多かった。実際にチャーリーは、昔からキースのアンプを自分の近くに置き、バンドのビートがズレてしまわないように、全神経を集中させていたらしい。

 この二人が作り出したビートに他のメンバーが乗っかってくることで、あのストーンズの特別な揺れが出来上がった。ここを理解していないと、ストーンズの曲を再現するのは難しい。どのパートにしても複雑で難しいフレーズというのはそうそう無いのだが、あのストーンズ・マジックまでもを演奏できる人たちは見たことがない。もう少し詳しく説明すると、どうやらチャーリーとキースのリズムの取り方は、腕を引っ張り上げるようなリズムの取り方で、どちらかというとルーズな感じだ。ロン・ウッドや、脱退してしまったがベースのビル・ワイマンも同じようなリズムの取り方であり、ボーカルであるミック・ジャガーだけが、腕を振り下ろすように前のめりに推進させていくリズム感である。同じ音符を演奏するにしても、このタイミングの微妙なズレや、スピードの違いまでもをブレンドしないとバンドは出来上がらない。参考までにこの動画にリンクを貼っておく。初期の演奏だがキースの腕の振りを良く見ると、カッティングの仕方には腕を引き上げる要素も見て取れる。ブライアン・ジョーンズの身体の揺らし方も横揺れだ。それに対してミックはもちろん、観客のノリさえも縦揺れなのは明らかだ。自分もこの時期のライブを味わえていたら、もっとマシな演奏ができていたかもしれない。

 さてさて、もはや当初からのメンバーはミックとキースだけになってしまった。ロニーが側にいてくれるのは力強いが、やはりチャーリーがいないのはとても悲しい。今までいくつもの危機を乗り越えてきたバンドだが、ここから先も乗り越えていけるだろうか。不安は残ってしまう。自分だけじゃく、今もストーンズの揺れを必要としている人たちはたくさんいるのだ。それでも、そろそろチャーリー・ワッツにお礼を述べなくてはいけない。生涯を通じて心地良いビートを届けてくれてありがとう。どうぞ安らかに。

Feels Like Rain / バディ・ガイ

 「昔は良かった」「あの頃が懐かしい」などと言い出し始めると、ただの年寄りになってしまった証拠でもある。古い家具のように時を重ねたアーティストたちに憧れていたはずではあったが、最近は朝から「疲れた」を連発してしまっている。それならば荒療治でヴィンテージ・ギターでも手に入れ、また元気に暮らそうかという妄想にも耽ってみたが、それもすぐさま覚めてしまった。毎月のやりくりに苦しむ姿がリアルに浮かび上がったからだ。やはり衝動に逆らわずに生きれたあの頃が懐かしい。

 ところで、最近はまたエレキ・ギターでのブルースを聴きいっている。とくにストラトのフロント・ピックアップを使ったサウンドからは、ノスタルジックな風景までも見えてくるようでたまらない。ブルースのギタリストに限らず、このストラトというギターが多くのアーティストに支持されるには、そんな理由も含まれているはずだ。そして、そのストラトをブルースに持ち込んだレジェンドがバディ・ガイだ。

 1936年生まれのバディ・ガイは、マディ・ウォーターズのバックに起用されるなどして、シカゴのブルース・シーンから飛び出してきた。破天荒なギターと、テンションの高い情熱的なヴォーカルをトレードマークにして人気を獲得していくのだ。70年代には来日も果たし、そのエネルッギッシュなブルースに衝撃を与えられたと語り繋がれている。しかしその後は、多くのブルースマンがそうだったように、彼もまた不遇の80年代を迎えてしまう。それでも90年代に入ると、シルヴァートーンと契約を結び「Damn Right, I’ve Got the Blues」を発表。このアルバムはグラミー賞となり見事に返り咲いた。以来、レコーディングもツアーも活発に行なっている。さらに現在はシカゴに大きなブルース・クラブを持っていて、85歳を過ぎても現役で活躍し続けているのだから「凄い」と言うよりも「素晴らしいです」と敬意を払いたい気持ちでいっぱいになってくる。

 さて、彼のギター・プレイは、ジミ・ヘンドリックス、エリック・クラプトン、スティーヴィー・レイ・ヴォーンらの世代に大きな影響を及ぼしたのだが、その次の世代にも影響を放っているようだ。新世代のブルース・ギタリストとも呼ばれているジョン・メイヤーは、スティーヴィー・レイ・ヴォーンに憧れブルースに夢中になっていったのだが、そのルーツであるバディ・ガイまでにも辿り着いてくれている。共演を果たしたステージでは「Feels Like Rain」を演奏し、見事なバッキングを披露してくれている。特筆したいのは、演奏の途中でバディ・ガイが歌詞を飛ばしてしまったシーンについてだ。次にどう入ろうかと悩んでいたようにも見えるバディ・ガイに対して、ジョン・メイヤーによるフォローは素晴らしく、そこからのギターによる掛け合いでも、ほのぼのとした雰囲気で偉大なるレジェンドを盛り上げてくれている。

 憧れというものは、自分に無いものを追いかけてしまっていることが多いと思うのだが、大好きなおじいちゃんと演奏しているようなジョン・メイヤーを見ていると、そのままでも素敵に歳を重ねていけそうな気分になれる。もしかしたらバディ・ガイもそうやってブルースを奏でてきたのかもしれない。そう思えてくると、今あるモノや環境もまた素敵に見えてくるから不思議なもなのだ。