Nobody Knows You When You’re Down and Out /スクラッパー・ブラックウェル

 ブルースマンを象徴する人物を上げろと言われれば、ロバート・ジョンソンが必ず上位にランクインされると思うが、そのイメージは『悪魔と取引して凄腕のギタリストになった』である。けしてミュージシャンとして努力した姿は思い描かないのがフツウだ。昼間から酒を浴びてはギャンブル三昧、女の部屋も自由に渡り歩くなど、「練習などしなくても歌もギターも簡単にキメテみせるぜ」がまかり通ってしまっている。自分もどれだけ悪魔に願ったことだろう。しかし何度願ってもそんな事はありえないのだ。

 さて、努力家のブルースマンだったという形容詞まではついていないが、スクラッパー・ブラックウェルは独学でギターを学び凄腕になったとされている。16人兄弟だった彼だが、小さい頃には葉巻の化粧箱にマンドリンのネックを付けて針金を張り、ギターを弾き始めたというエピソードも残っている。また兄はヴァイオリンを弾いていたというところから、家庭はそれなりに裕福だったのかもしれない。優しい家族に囲まれながら手作りギターで練習していたとしたならば、ほっこりと安心もしてしまう。

 それでも楽器を自由に操るのはとても難しい。さらにはブラックウェルが生まれたのは1903年だ。いくらギターを夢中になって弾き始めたとしても、今のように情報を取り入れる環境ではなかったことを考えると、やはり身近に音楽に詳しい人物が存在したのではないだろうか。晩年のソロアルバムではピアノでの弾き語りもこなしてしまう彼の姿からも、あながち的外れな想像でもないと思う。ま、ピアノに関しては相棒だったピアノマンのリロイ・カーからの影響かもしれないが、それでもカーとの歴史的な出会いを引き寄せるだけの力をブラックウェルは持ち合わせていたのだ。けして悪魔と取引して上手くなった訳ではない。

 と、ここまでならばブルースマンの印象も随分と和らぐところなのだが、やはり伝説のブルースマンには光もあるが影もある。禁酒法(1920~1933)がまだ施行されていた頃、ブラックウェルは密かに醸造したウィスキーを売りさばく事を生業としていた。しかも相当に当てていたらしく、リロイ・カーからレコーディングの仕事を誘われてもかなり渋っていたらしい。趣味として音楽を愛したかったのかもしれないが、禁酒法という制約の裏でぶくぶくと肥えていたのはギャング達だ。ヤバイ仕事で手に入る金の大きさから比べたら、金の匂いがしないミュージシャンに魅力を感じないどころか、食っていけないと本気で思ったはずだ。

 後にジミー・コックスの「Nobody Knows You When You’re Down and Out」を吹き込むブラックウェルだが、金を手にした男が落ちぶれていく姿を歌った歌詞の中には「金を持っていた時には仲間を引き連れ大盤振舞いで」というくだりがあり、その後の「密造酒やシャンパンを飲みまくった」という部分を告白するように歌っている。そうそう余談だが、ここに痺れたのはクラプトンも一緒だと確信している。二人の演奏を聴き比べて欲しい。アンプラグドで歌うクラプトンの発音はブラックウェルにそっくりなのだ。

 絶頂期のブラックウェルはリロイ・カーが亡くなった後で表舞台からは姿を消してしまっている。しかしストーンズやクラプトン、キンクスなどを中心に英国の若者たちが巻き起こしたブルース・ブームが引き金となって55歳でカムバックしている。けれども実際に再び発見された時には、彼は甥の家で極貧の生活を送っており、ギターすら所持していなかったらしい。まさに落ちぶれていたのだ。それでも彼を見かけた人がギターとビールを渡すと、素晴らしい歌声とギターでブルースを聴かせてくれたという逸話も残ってる。

 リアルに落ちぶれた男の歌を歌ったブルースマンは何を思っていたのか。切なくもなるが、それでも希望という想像はいつだって持てる。なぜなら、自分の人生の評価は自分自身で採点したいものだから。世間には落ちぶれたように見えたとしても、本人はブルースに癒されていたと願いたい。それどころか、また一発当ててミリオネア…。いや、ビリオネアまでも狙っていたかもしれない。超富裕層と呼ばれるビリオネアのミッションは「血を絶やさない」こと。つまり、「永続的な存続」ということである。ブルース界にはこのビリオネアたちが実に多い。その証拠にブルースの遺伝子を繋いでいる子供たち、孫、ひ孫たちは、ジャンルを超えて今も活躍中だ。

 1962年の秋、59歳のスクラッパー・ブラックウェルは、2発の銃弾によって命を奪われた。かのボブ・ディランをして「俺たちの音楽を辿った先は皆、スクラッパー・ブラックウェルに通じている」そしてさらに「彼は、遥か多くの評価をうけるべき偉大なるミュージシャンだった」と言わしめた伝説のギタリストだった。

*日本語参考 憂歌団 /ドツボ節

Needed Time / ライトニン・ホプキンス

 選抜高校野球の代替試合が各地で繰り広げられていた。雨の影響で中止になってしまった地域もあったようだが、岩手では無事に全日程を終えることができた。決勝では一関学院が盛岡大付を下して優勝。一関学院が最後に夏の大会を制したのが2010年。以降は花巻東と盛岡大付が夏の頂点を占めていた。そのひとつを破っての優勝はとても価値のあるものだったと思う。優勝を決めた後、選手たちからは「甲子園に出たかったなあ」と思わず声が漏れたそうだが、どんなスポーツの大会でも悔いを残さずに終わることができる選手は稀だ。ほとんどの選手たちが「あの時なあ」と思い出すものだろう。甲子園という憧れだけを思い続けるのではなく、努力してきた道のりを大切にして良い未来を築いて欲しい。

 いい大人になっても自分を信じるって容易いことではない。特にピンチの時はまたダメかもと頭をよぎってしまう。多くのスポーツを観戦したくなるのは、勇者のように戦う選手たちの力を分けて貰えるような気がするからだろうか。ここで決めてくれと願うファン達の熱い視線の先には、これからの未来に良いことが起きるようにと願いを込めているようにも見える。自分の力を信じてピンチを乗り越えてきたことも無いわけでもないが、すべてを自分の力だけで乗り越えてきたはずもない。どちらかというと、技術と知識が伴わずにいて自分を信じきれなかった方が多かった。さらにコロナ騒動のような情況となれば、神さま仏さまと目に見えない何かにお願いしてしまうのが定番だ。

  さて、ライトニン・ホプキンスが歌う「Needed Time」は、昔から伝わるゴスペルをアレンジして作られた歌だそうだ。まさに神さまにお願いしている内容だが、カントリー・フォークというのか童謡的に演奏されていてなかなか呑気だ。この人の格好良さはギャグと狂気が入り混じっていて、ブルース的な哀切ばかりでなくコント的な安らぎも感じてしまう。どうやら彼のライブパフォーマンスも即興で生み出し歌う歌詞が多かったため、客席が笑いに包まれたりたり重たい空気になったりと、その時々の仕上がりは様々だったらしい。

 普通の人では予想もつかない放浪生活、刑務所暮らし、戦争と、彼ならではの体験が生み出すフレーズには、絶望しそうな情況さえも「シリアスになり過ぎるな」と笑い飛ばしてくれる力がある。どん底から這い上がるには何が必要だったのだろうか。夜更けに聴いていると想像したくもなるが、それでもここは呑気にいくべきだ。彼が向こう側から見てくれているとしたら「どうにかなるさ」「ウヒャハハー」と笑い飛ばすに決まっているのだから。

Worried Life Blues / 悩める人生のブルース

 はじめて聴いた「Worried Life Blues」は、友達から教えてもらったキース・リチャーズのブートレグだった。1977年のトロントセッションを収録したアルバムで、今でも有名なやつだ。その頃のキースといえば、ドラッグ問題が深刻化していた時期。かなりヘロヘロで警察にしょっぴかれ、懲役も喰らうだろうと噂されていた。おまけにストーンズの他のメンバー達はキースを置いてカナダを脱出してしまい、孤独な状況の中でレコーディングが行われたらしい。しかしここでのキースの歌声は、哀しみも超えた境地のようだ。もうブルースも通り抜け、聖歌の域に達している。まだ聴いたことのない人はぜひとも聴いて欲しい。きっと癒されると思うから。

 さて「Worried Life Blues」だが、とても多くのアーティストに歌い継がれている。しかもキースからチャック・ベリーまでと、ロック・ミュージシャンにもフォローされているのが興味深い。

 作者はシカゴのブルース・ピアノの確立者ビッグ・メイシオ。彼の左手による肉厚なベースラインに多くのミュージシャンがヤラレたのだと思うし、このピアノでのベースラインをギタリストの誰かがパクって、ロックンロールの定番ギターフレーズに仕立てたはずだ。そう言えば、チャック・ベリーの映画「ヘイル・ヘイル・ロックンロール」の中で、キースが「チャック・ベリーのギターのリフは、ジョニー・ジョンソンのピアノ・リフをギターに応用したものだ」と言い放っていた。ま、こういった話は、取った取られたって騒ぐのは野暮ったい。最高のピアノマンと一緒に演れたギタリストに敬意を払うべきだろう。もし彼らが一緒に演れていなかったら、ロックンロールは生まれていなかったはずだしね。

 才能は同じ場所に結集するって話はよく聞くし、本当にそうなのだとも思う。バンドだけでなくビジネスシーンでさえ、社会を見渡せば素敵な繋がりのおかげで成り立っている。孤高の天才と呼ばれている人も、必ず何かと誰かと繋がっているのだ。「俺の発明だ」と叫んだところで、俯瞰してみれば滑稽でしかない。皆んなで笑い合い歌える方がいいに決まっている。そうだ、今後コロナの特効薬ができた時には、権利の奪い合いで流通が遅れるのだけは勘弁してほしい。国と国、人種を超えて助け合わないといけない状況なのは子供でも知っている。

 ところでブルースの歌詞には「金も女も消えてしまった」「ひとりになってしまった」と、嘆くやつが多いが、それでも最後のオチでやせ我慢している歌もたくさんある。「Worried Life Blues」もそうだ。

Worried Life Blues / 悩める人生のブルース

Oh Lordy, Lord, oh Lordy, Lord
It hurts me so bad, for us to part
But someday baby,
I ain’t gonna worry my life anymore

おお神よ神よ
すごく辛いよ 別れてからというもの
でもいつかは ベイビー
俺はこれ以上苦しまなくなるだろう

So many night, since you’ve been gone
I’ve been worried an’ griev’in, my life alone
But someday baby,
I ain’t gonna worry my life any more

幾夜も経った お前が行ってから
俺は一人で嘆き苦しんだ
でもいつかは ベイビー
俺はもう人生を悩まなくなるだろう

 と、こんな感じでやせ我慢が続いていくのだが、この男は狂いたいところを堪えているうちに、嫉妬がどれだけ周りをも不幸に向かわせる毒だってことに気づいていったのかもしれない。男が幸せになるには、女の幸せから願わなくてはならないものなのだ。心に粘る痼りを浄化するには多くの時間を必要とするだろうけれど、この重苦しい時代にはそんな男達が出てこないとヤバイぜ。がんばりましょう男達。