You Gotta Move / ミシシッピ・フレッド・マクダウェル

 もっさりと雪が積もった正月ともなると、窓から見える冬景色を羨むしかないが、正月だとしてもブルース三昧は変わらずにいるのだからと慰めてブログを書いています。遅れましたが「新年おめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします」

 さて、今年の始まりに取り上げたブルース・マンはミシシッピ・フレッド・マクダウェル。曲の方は「You Gotta Move」で、ローリング・ストーンズがカバーしたことで有名なやつです。それにしてもブルースの旅を続けていると、ストーンズとクラプトンが掘り起こした鉱山とも言える場所に辿り着いてしまう。そこには他にも無数の足跡が散らばっているようで、日本人では憂歌団と有山じゅんじさんって感じだ。きっと偉大なる日本の先人たちもそこで同じことを思ったに違いないはずである。

 ところで、ここの動画配信を含めたブログは、バンドでギターを弾くのとは別のフィンガー・スタイルに挑戦してみたものだった。バンド友達から届いた浪速ブルースの名盤「ぼちぼちいこか」(1975年)を聴いてから、有山さんのブンチャ、ブンチャというリズムを真似していたことも決定的になった。それゆえ去年はラグタイム系の人たちを多く取り上げた。ま、そこは今年ももちろんなのだが、それに加えてスライド・ギターの頻度も上げていこうと思っている。前々回でタンパ・レッドを取り上げた際に、スライドならではのメロディーと、その隙間に入るリズム打ちの気持ちよさに気がつくという発見があったからだ。それで今回の「You Gotta Move」なのだが、マクダウェルのスライド・ギターも、親指とのコール&レスポンスがたまらなくカッコイイ。おまけに歌詞もいいのだ。

You Gotta Move
Fred McDowell/Rev.Gary Davis

You gotta move
You gotta move
You gotta move, child
You gotta move
But, when the Lord gets ready
You gotta move

そうか、いっちまうのか
ついに、いっちまうんだな
そんなときがくるとはな
おまえがいっちまうなんて
だけどよ 神が準備を整えた時には 
行かなきゃならないんだ

You may be high
You may be low
You may be rich, child
You may be poor
But, when the Lord gets ready
You gotta move

調子がいい時もあるよな
だめな時はだめだけど
羽振りがいい時もあるかもしれないし
からっけつの時もあるだろうさ
だけどよ 神が準備を整えた時には 
行くしかないのさ

「Move」の意味をどう取るかは色々だろうけれど、「去る」や「逝く」と取るのではなく、あくまでも次へ行く、「次の時代へ行く」と取るならば、新年に相応しいブルースなのではと思えてくる。

 さて、1904年にテネシー州で生まれたフレッド・マクダウェルは、その後ミシシッピー州に移り、様々な肉体労働に従事しつつもフォークやブルースを歌い続けていた。若い頃にレコーディングをしたことはなかったが、1960年代初頭のブルース・リバイバルの時代に見出され、55歳でデビューを果たした。先に述べたようにストーンズはもちろん、ボニー・レイットにいたってはスライド・ギターを教えてもらったとコメントを残しているし、若手のブルース・ウーマンのサマンサ・フィッシュも「Shake ‘Em On Down」をマクダウェル張りのスライドで引き継いでいる。さらにはこの曲を何度も吹き込んでいたヒル・カントリー・ブルースのR.L.バーンサイドは、ジョン・スペンサー・ブルース・エクスプロージョンと共演している。ブルース衝動をぶつけたような音楽性が、後のガレージロックやパンクロックにまで受け継がれいったとするならば、マクダウエルの功績は非常に大きいものだったと言えるだろう。

 しかしながら、当時の白人の大人たちの間では、ブルースは悪魔の音楽だからと信じ込まれていた節がある。無条件で多くの人たちに受け入れられて来たわけではなさそうだ。とりわけ不協和音だろうがお構いなしでギターをかき鳴らし、ワン・コードで曲を押し進めるマクダウェルのスタイルは強力すぎて、ブードゥー教のような信仰で行う呪術のようでもある。催眠術のような彼のビートが悪魔の音楽だと信じ込まれたとしても不思議ではない。自分の子供がブルースに夢中になっていたとしたら、厳格な家庭ならずともレコードを処分したこともあっただろう。ところがそんな心配を他所に、マクダウェルはブルースだけでなくゴスペルも多く歌っている。ブルースだけでは金にならないと、ゴスペルも歌う作戦に出たのかもしれないが、じつは信仰深い人間だったと思わせてくれる素晴らしい作品も残しているのである。

 1966年に発表されたアルバム「Fred McDowell – Amazing Grace」は、ザ・ハンターズ・チャペル・シンガーズというコーラス隊をバックに、アコースティック・ギターを弾き語るスタイルで、派手に聴衆を煽るようなゴスペル・ソングではない。しかしながら、その素朴な歌声とギターには、神や大地に祈り、歌を捧げるという根源的な人間の欲求と悲哀が混じり合っている。俺はこれを聴く度に親戚のおばあちゃんの葬儀を思い出してしまう。あの時は近所の人たちが地元に伝わる唄で彼女を見送ったのだ。それがとても美しく優しかった。

 このアルバムのタイトルにも用いられた讃美歌「Amazing Grace」などもそうだが、「You Gotta Move」のコール&レスポンスも聴いてみて欲しい。呼びかける側と答える側には、見送る側と見送られる側の、寂しさと優しさが詰まっている。苦味を知っている料理人が作るスープのように、このアルバムを作った男はブルースを知っている男だったのだ。不味いはずがない。味わってみてください。

Back Door Santa / クラレンス・カーター

 B.BキングのようなブルースマンからJETのようなロックバンドまでがカバーしているクリスマス・ソングがある。1968年に発表されたコンピレーション・アルバム「Soul Christmas」に収録された「Back Door Santa」だ。歌っているのは盲目のR&Bシンガーのクラレンス・カーター。ソウルやゴスペル、ブルースやカントリーを混ぜ込んだサウンドで、ソウル界の至宝とまで呼ばれている人物である。そんな偉大なクラレンスだが、このクリスマス・ソングだけはとにかくヤバイ。なにせ『裏口からこっそり家に入っては男の子を追い払い、女の子たちを幸せにしてあげる』という悪いサンタの歌だからである。なにかと炎上しやすい今の時代なら、『間男サンタ』の歌なんて、とてもジョークだとは目をつぶってもらえなかったかもしれない。

 ところで、このクリスマス・アルバム「Soul Christmas」は、スタックス・レーベルの所属アーチストを中心にコンピレーションされたアルバムだ。R&B系クリスマス・アルバムの最高峰とまで呼ばれ、ソウル・ファンならば、オーティス・レディングやカーラ・トーマス、ウィリアム・ベルらの名前に歓喜してしまうってヤツだ。当時のオリジナル・アルバムには、今ではもの凄い高値が付いていて、とにかく手にするのも大変なのだが、iTunesでも聴くことができるからご安心を。個人的にはキング・カーティスのサックスを何度もリピートしてしまう。「The Christmas Song」と「What Are You Doing New Year’s Eve?」の2曲が収録されていて、どちらも素晴らしいフレーズを聴かせてくれているからだ。他にもブッカー・T&MG’sのスティーブ・クロッパーのギターフレーズや、ソロモン・バークの歌声など、あの当時のリズムとサウンドに触れると、なんとも言えない夢見心地なってしまっている。

 さて、そんなアルバムの1曲目を飾ったクラレンス・カーターは、1936年アラバマ州で生まれた。幼い頃に視力を失いながらも、ジョン・リー・フッカーやライニトニン・ホプキンス、ジミー・リードを聴き、盲学校に通い音楽を専攻していく。1966年にはフェイム・レコードからソロデビューし、翌年にはエタ・ジェームスに提供した「Tell Mama」がビルボードR&Bチャートで10位を記録する。クラレンス自身も「Tell Daddy」として発表し、こちらも35位を記録した。その後もヒットを飛ばし、トップ・ソウル・シンガーの仲間入りを果たすこととなっていくのだった。

 そしてフェイム・レコードと言えば、アレサ・フランクリン、ウィルソン・ピケットなどのソウルの名作を生み出した伝説のスタジオ、「フェイム・スタジオ」を拠点にしていた。若き日のクラレンスもこの場所で多くのことを学んだという。彼の生まれた場所がアラバマで、フェイムもアラバマを拠点としていたということは運命的な出会いだったのだろう。2014年の音楽ドキュメンタリー映画「黄金のメロディ〜マッスル・ショールズ」にもクラレンスは出演していて、「アラバマではまだ人種差別が公然とされていた時代だったが、スタジオの中では肌の色なんて気にせずに音楽のことだけを考え、純粋に協力し合っていた」と話してくれている。

 1967年の終わりからアトランティック・レコードに移籍した クラレンスだが、作品の録音は1973年までフェイム・スタジオで行われた。彼の最大のヒット曲である「Patches」も、今回取り上げた「Back Door Santa」も、気のおけない仲間と作れたからこそ特別なグルーヴが生まれたのだろう。映画の中ではスタジオ・ミュージシャンだったスワンパーズのメンバーが「自分たちは、ひとりひとりだと決して凄腕ではなかったが、一緒に演奏すると特別なマジックが生まれてきた」と真剣な眼差しで思い出を語っていた。さらに、スタジオの生みの親であるリック・ホールは「人間らしい不完全さが音楽には必要で、それが名曲を作る魔法なのだ。アーメン!」と説法を語ってくれた。今年は世界中のどこでも、不完全なクリスマスを迎える人たちが多いことだろう。でもそれならば、人々を励ます名曲たちは世界中から鳴り始まるはずなのだ。今はそいつを信じたい。それではみなさん、メリークリスマス!そして良いお年を!

It Hurts Me Too / タンパ・レッド

 ブルースには様々な演奏スタイルがあるが、ギターに関してもチューニングを変えてみたり、酒の瓶やナイフで弦をスライドさせてみたりと、斬新なテクニックや奏法も生まれてきた。近年においてもそれらを受け継いでいるアーティストは多く、ブルースだけでなくコンテンポラリーな音楽でも耳にすることができる。1900年代初頭まで、アメリカ南部の黒人たちの憩いの場はジューク・ジョイントと呼ばれる酒場だった。農園などで働く彼らの楽しみといえば、そこに集まりミュージシャンの演奏に合わせてダンスすること。そして既にこの頃からギタリストたちは酒場にあった身近な道具を巧みに使い、スライド奏法を披露し客を盛り上げていたという。最初にスライド・ギターが録音されたブルース・レコードは1923年のシルベスター・ウィーバーの「Guitar Blues」で、当時の情景が浮かび上がるインストルメンタルの曲だ。さらに1940年代後半に進むと、低所得者だった黒人層をターゲットとしたブルースのレコードも数多く発売されるようになり、スライド・ギターの名手と呼ばれる男たちも次々と登場してくるのである。エレクトリックによるスライドでシカゴを震わせたマディ・ウォーターズ。チェス・レコーズにマディと同じく在籍したロバート・ナイトホーク。そしてキング・オブ・スライド・ギターといえばエルモア・ジェームスだ。真っ先に浮かぶ「Dust My Broom」に代表されるように、あのエルモア節はスライド・ギターの枠を超えてブルースのスタンダードとなっていく。

 さて、その王様であるエルモアが憧れていた男がタンパ・レッドだ。1928年「It’s Tight Like That」で「あの娘はキツイ」とふざけた歌を歌い、それが当たったことでシカゴに住みつき、アル・カポネにも贔屓にされながら1950年代まで大量のレコーディングを続けていく。見事なスライド・ギターの腕前から「ギターの魔術師」とまで呼ばれ、陽気なラグタイムやホウカム・ソング、沈着なスロー・ブルースまでそのレパートリーは広かった。

 生涯で300曲以上の録音をこなした彼だが、歌詞を見ても優れたものが多く「Kingfish Blues」では自分を魚の王様に、女たちを小魚に例えて「タンパ・レッドはどんな小魚を選んだら良いか知っているぜ」とも歌い上げている。ギャングスターにも贔屓にされていたくらいなのだから、なかなかの気骨も持ち合わせていたのかもしれない。けれども、「お前が愛してる男はお前を傷つける」「お前が不幸になることに俺は心を痛めてる」と歌う彼の代表曲「It Hurts Me Too」を聴くと、実際のところはこのブルースマンにしても、見栄を張り続けた大ボラ吹きだったのかもしれないとも思えてくる。

 ところで肝心のスライド奏法だが、タンパ・レッドは単弦でのスライド奏法を確立した最初の人物である。そしてその奏法は戦後のロック・ギターにおけるチョーキングなど、スクイーズ・スタイルにまで影響を及ぼしている。ここはものすごく重要だ。彼のスライドは、フレーズの最後を細かく揺らしてビブラートをかけていることが多い。それに憧れたB.Bキングやバディ・ガイは、自身もスライドを試してみるのだが上手くいかず、その代わりにチョーキングで表現することに決めたという。そしてそれがブルーノートと呼ばれるジャズやブルースで使われる音を表現するのにピタリとハマっていくのだった。繊細な音使いのタンパ・レッドがいたからこそ、次の世代がまたイキイキと表現できたのだ。

 さてさて、「It Hurts Me Too」をカバーしてもっとも有名にさせたのは、エルモア・ジェームスだ。リズムをスローにして、出だしからエルモア節で泣いている。同じようなブルースを体験し、タンパ・レッドを聴いて泣いていたのだろうか。オリジナルよりもブルースにどっぷり浸っている。寂しさを振り払うように練習していたのかもしれない。ギターを弾いていた部屋には、酒の空いたボトルがそこら中に転がっていそうだ。だからなのだろうか、スライド・ギターは咽び泣いている男の声にも聞こえてくるのだ。